2025年2月16日日曜日

2月16日 中小企業研究センター編『エフェクチュエーション・アプローチによる地場産業の新たな担い手創造に関する調査研究』を読んで

 公益社団法人 中小企業研究センター編

エフェクチュエーション・アプローチによる地場産業の新たな担い手創造に関する調査研究〜若者・女性・外国人の地場産業への参入・企業の可能性』

      (調査研究報告No.138、令和612月、同所)     

                                               を読んで  渡辺幸男

 

 本報告書は、私がかつて実態調査を行う際、2000年前後に大変お世話になった中小企業センターによる、最新かつ本格的な実態調査研究の報告書である。その上、当時、私とともに中小企業センターの調査に参加した当時の若手研究者が複数参加している調査研究報告書でもあり、大変興味深く感じ、勝手な形で読み進んだ。そこからの、中間的な感想を、結論部分の章にもっぱら焦点を当て、書いたものが以下の文章である。

 

本報告書の目次

第1章      調査研究の目的と方法              (山本篤民氏担当

 

第2章      地場産業産地の動向と人材育成          (遠山恭司氏担当

 

第3章      地場産業の産地における新たな人材の参入とスクールの役割

(吉原元子氏担当

第4章      スクールの修了生における起業活動とエフェクチュエーション

(長谷川英伸氏担当

第5章      地場産業の新たな担い手創造と産地の振興     (山本篤民氏担当

  (以上、99ページまで)

 

事例編 (103ページから188ページ)

 

本報告書は、全体として、地場産業の新たな担い手として、地場産業地域における後継者育成機関等が、地域外の人々の当該産業についての技能習熟の場となり、そのような技能を学ぶ人から起業する担い手が生まれていることに注目し、「地場産業の新たな担い手創造」につながる可能性を、実態調査を通して明らかにしようとしている。その結論部分が、第5章である。

私は、本報告書をはじめから読み始めたが、何を結論として述べているのか気になりはじめ、途中から第5章を先に読むこととした。その結果、第5章を読んで、その後、他の章にも目を通し、以下に述べるようなことを感じた。

 

 そこで明らかにされていることは、まずは、既存の地場産業に関心を持ち、産地に設置されたスクールに、域外から来て通うようになった人が多く存在していること、それらの人々が技能習熟し、尚且つ起業することも生じていることを確認していることである。その上で、そのような経路で開業した企業家には、「既存の産地企業」と異なり、産地問屋等を通さず、独自な販路を開拓している起業・企業家が多いことを明らかにしている。その生産の性格は、手工業的製品や工芸的製品の少量生産が多い、ということも確認している。

 ここから、産地のスクールを通して、当該産地が保有していた製品をより工芸的な少量生産品として再生していく志向を持った起業家の形成を確認している。産地の伝統的な製品を踏まえ、その技術を継承しながらも、市場を変え、非量産的な工芸的性格の強い製品作りに向かっての新たな開業が、スクールを通して生じているということである。

 その上で、著者たちは、これらの人々に、産地産業集積の新たな担い手の創造、そして、さらには産地の再生産の可能性をも見出しているようにも見える。あえて言えば、縮小再生産であろうと、既存産業集積の再生産が、既存の完結した産業集積として可能であるかのように述べているようにも見える。それは本当であろうか。これが、まず私が感じた正直な感想である。

 

 このようなスクールを通しての開業が、産業集積の新たな担い手の形成であることは、私も理解するが、これらの新たな担い手が、既存の「産地の産業集積」の(たとえ縮小再生産に近いものであろうと)再生産を可能とするような、新たな担い手の層だと言えるかについては、私には疑問に思えた。

その第一が、多くの産地の産業集積は、産地が主力とする完成品生産の中小企業群からなっている企業だけの集積ではないということである。当然のことながら、産地内は部品や工程等での細かな社会的分業が形成され、それらの社会的分業の担い手の相互の繋がりの中で再生産しているのである。

本報告書で注目されているのは、そのような社会的分業の担い手の存在を前提にした上で、手工業的な少量生産に特化した工芸的な生産者群の新たな形成であると思われる。そのような人々が形成されていること、しかもある程度の層として形成されていること、それ自体は調査結果そのものであり、その通りなのであろうと、私にも理解できる。しかし、その人々が、その生産を行う上で、旧来の産地内の社会的分業にどの程度依存しているのか、この点がよくわからない。これがわからないことで、新たな質の企業家層の形成、スクール卒業の外部からの人材の企業の持つ意味を、産地型の産業集積の今後を考える上で、どう見るかが変わってくることになる。

新たなタイプの起業家層の質と量の2つの問題なってくるであろう。質として検討すべきは、工芸的少量生産者として起業することで、旧来の社会的分業に依存せず、川上から川下まで、主要な行程を内製化する可能性である。芸術的な製品を単品生産する工芸作家の多くは、工程の外注をせずに内製化している、といった事例を仄聞している。

もう1つは、少量生産のスクール出身の起業家群が、どれほどの大きさの外注を行うかと言う量的な問題である。量産的な生産について産地問屋を通してこれまでの中小企業が受注していた場合、当然のことながら、それに応じて少量生産の場合に比したならば、一企業あたりで見て比較にならない量の外注を実行していたと言える。それに相応するような外注量を実現できる分厚い工芸的少量生産企業家層を形成することが可能なのであろうか。残念ながら、この調査報告書を通しては、そのような極めて多数な小規模企業家層の形成を示唆するような状況の紹介はない。あくまでもそれなりの数のスクール卒業者の少量生産者としての開業が確認されているだけである。

そうだとすると、産地産業集積としては、スクール出身の小企業層の形成は、その再生産のために、存在しないよりはマシだが、それが中心となることで産地産業集積としての社会的分業関係を含めた再生産が可能となるとは言えそうにもないことになる。

もしそうであるならば、工芸的な小企業が起業する場としては、旧来の産業集積は機能することができるが、産業集積そのものの再生産、その社会的分業を含めた再生産を保証するものとは、到底言えそうにないことになる。

 

私が2000年代初頭に調査した産業集積にすでに垣間見られたように、既存の産業集積それ自体は、単独の産業集積として(たとえ、縮小再生産であろうと)再生産していく展望は、スクール出身の新たなタイプの小起業家が簇生したとしても、本格的なものとして開けない、ということになるのではないか。

 本章のタイトルは、「地場産業の新たな担い手創造と産地の振興」である。「新たな担い手創造」それ自体は、本調査から十分言えると思うが、それが「産地の振興」、少なくとも産地内社会的分業の(たとえ、縮小再生産であろうと)再生産を可能とする規模で生じるのかは、本報告書の調査範囲内では、見えてこないといえよう。私の勝手な想像だが、この新たな担い手の性格からして、既存の産地内基盤産業企業にとっての重要な需要家群となることは、質量両面から、ほぼ不可能ではないかと推測される。どうであろうか。

 

 本報告書で扱っている新規創業者群が、それぞれなりに関連産業の存在を必要としているであろうことは、量的な大きさを別とすれば、十分私にも想像できるし、理解できる。そうであれば、ネット通信環境や宅配便等の物流環境が、大きく進展している状況を踏まえるとき、なぜ、旧来の産業集積ごとの完結した社会的分業構造にこだわっているように見えるような、産業集積単位でのみ物事を考えているように思われるような叙述をおこなっているのであろうか。もっと真正面から、旧来の産業集積を越えた社会的分業を利用した、工芸的新規開業企業を紹介するなりして、産業ごとの広域的な、あるいは産業をも越えた広域的な社会的分業の中で、新たな起業家が、各地のスクール等を通しても、形成されている、という形で述べないのであろうか。なぜ、ここまで旧来の産業集積単位の議論にこだわるのであろうか。それとも、このような認識の仕方には、私が理解していない、実態的な根拠が存在するのであろうか。

実際に、スクールの卒業生の中には、かなりの数、スクール立地の産業集積地域内で開業立地するのではなく、地域外で同業種系の職種に就業する例が、本調査報告書の事例の中でも、豊岡のかばん産地の例などで紹介されていた。

 実態から見ても、すでに2000年ごろでも、既存産業集積いわゆる産地産業あるいは地場産業を越えた取引関係、社会的分業関係に依存する、旧集積内中小企業が、多く形成されていたことは見えていた。また、近年もそのような事例は、執筆者諸氏自身が積極的に評価しているかどうかは別とすれば、本報告書の執筆者達を含め、多くの産業集積研究者による実態調査報告からも垣間見られている、と私には思えるのだが。どうであろうか。

 

 今ひとつ気になるのは、事例産業集積が、機械金属工業関連の産地、産業集積を対象としていないように見えることの意味である。産地型の産業集積の中で、機械金属工業に属すような集積も、これまで数多く存在していた。そのような集積の事例は、本報告書では、全くと言って良いくらい事例として取り上げられていない。なぜなのであろうか。1つ考えられることはスクールとして取り上げる対象として、その技能があまりにも多様であるという、機械金属工業の特徴があるのかもしれない。あるいは、1990年代にすでに広域的な分業形成に巻き込まれ、産地として完結した構造がほぼ完全に解体していることによるのかもしれない。

 何れにしても、産地型の産業集積として、本報告書で取り上げた事例の性格を、地場産業としても一定の業種に偏って取り上げていること、そしてその理由を明確に示しておくこと、これらが欠けており、これらに言及することが調査報告書としては必要なことであったのではないかと思われる。

 具体的に事例を述べれば、私が調査した経験を持つ燕の金属洋食器や、あるいは川口や岩手の鋳物産地といった事例である。機械金属系の産地型産業集積は、本報告書で取り上げられているような繊維や雑貨関連の産地型産業集積とは、大きく異なった展開を示しており、それらの展開をも念頭においた上で、スクールと既存産地型産業集積の再生産の議論を展開する必要があったのではないだろうか。このような疑問を感じた。

 

 いずれにしても、本報告書は、地場産業集積の今を、スクールからの卒業生に焦点を当てることで、これまでの視角からの研究とは異なる可能性を、国内地場産業とそれについての研究に関して見出している、あるいは見出そうという努力をしている研究の成果であると言える。

 

すでに自ら実態調査を行うことを完全にやめた元実態調査研究者、否、元研究者にとっては、眩しく感じられるような実態研究とその成果である。それゆえにこそ、あえて勝手な注文を行ったといえる。せっかくの実態調査の成果を、より豊かに活用していただきたい、というまさに「老婆心」からといえる。

 近年個別経営の可能性を追求するような研究が、ともすると中小企業研究には多くなっている。私としては、本報告書のように、とりあえず個別中小企業の経営戦略がらみの議論から離れ、中小企業の置かれた産業実態を解明し、その意味を追求する研究を渇望している。その意味で、大変興味深く感じた報告書であり、あえて勝手な意見を、展開し、それを自らのブログに掲載した次第である。

 

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