2024年11月17日日曜日

11月17日 久しぶりのエントランスの花々

 久しぶりにエントランスの花の写真を、
アップすることにしました。
今年の夏、
極めて暑く、
いつもなら咲いているはずのゼラニウム等が傷んでしまい、
蕾がつくどころではなくなりました。
そんな中、唯一、賑やかに咲き始めたのが、インパチェンス、
こぼれ種から多くの芽が出、
賑やかに咲き始めました。

多少花芽がついたサルビアと合わせ、
エントランスの門の前に並べてみました。
可憐なインパチェンスの花も、量を集めることで、
華やかさを演出してくれます。
これに、ゼラニウムが咲いてくれたら・・・
いつもの賑やかさが戻るのですが。
これから、いよいよ冬、
西洋桜草とノースポールの苗を育て始め、
そしていつものクリスマスローズの鉢が元気に育っていますが、
霜が降りる季節までに咲くかどうか・・・。

追加
一晩経ち、苗などをアップしたくなりました。
まずは、西洋サクラソウの苗、
いくつか、数える程ですが、
まともに育ってきています。
夏の暑さが長引き、発芽は遅く、
まだ苗そのものですが。


下の写真はノースポール、
こんな鉢をいくつか作ることができました。
先は長いですが。


こちらは、クリスマスローズの鉢。
無事、夏を越しました。
奥のインパチェンスの鉢が賑やかですが、
クリスマスローズの葉の緑も、それなりに賑やか。
これからが楽しみなところです。

2024年11月1日金曜日

11月1日 中国市場での「熾烈な過当な国内競争」は、「疲弊をもたらす」「過当」さか?

 中国市場での「熾烈な過当な国内競争」は、「疲弊をもたらす」「過当」さか?

鈴木友里子「次は水素 「中国式」は持続可能か」

(朝日新聞、20241031日朝刊、p.7

を読んで  渡辺幸男

 

 本記事は、朝日新聞の特集記事「資本主義 NEXT 復権する国家 8」として掲載されている。私が注目したのは、その記事のうち、「エネ産業育成 国家主導で」と「熾烈な国内競争 企業疲弊」と2つの中見出しで書かれたもののうちの後者、「熾烈な国内競争 企業疲弊」の記事内容である。

そこでは、「育てるべき産業と目標を中央政府が定め、地方政府も補助金などの強力な優遇策で競う」とし、「価格競争力をつけた企業が、世界市場に打って出る」としたうえで、「中国式の産業政策は、・・・その内側にもひずみを抱える」と述べている。その「ひずみ」として、「過当競争に陥る」ことや、「EVを含む新エネルギー車のメーカー数は、20年ごろには約500社にものぼった。その数は1割ほどまでに減り、さらに淘汰が進むと見られる」ことを述べている。その上で、この競争を「「内巻」とも評される熾烈な競争を生」み、「非合理な内部競争」とも称される、としている。その上で、「産業育成での「内巻」は、世界市場でも競争力を持つ中国製品の一群を生み出した。一方、大量の「敗者」につぎ込まれた支援策は経済全体の生産性向上の重しになったり、地方財政の悪化をもたらしたりした面がある」と述べる。

 

この議論を読み、何よりも感じたのは、ダイナミックな資本主義の市場経済での新産業形成過程がもたらす、「大いなる無駄」についての認識、評価についての本稿の著者と私との決定的な差異である。ここでの著者である記者は、中国での新産業形成と、その結果としての世界市場での優位な中国系企業の形成が、他方で大きな「ひずみ」をもたらしていると認識している。この記事での文脈からすると、避けるべき、あるいは避けることができる「ひずみ」として認識されているように見える。本当にそうであろうか。

この記事によれば、このような「ひずみ」は、中国の政策ゆえの問題であり、避けるべきものであるという理解のように見える。しかしながら、私には、健全な資本主義的市場経済での新生産部門形成過程としてのほぼ不可避な無駄、本来的な健全な発展的な資本主義的市場経済に伴う、資本主義経済のダイナミズムそのものの持つ無駄であるように見え、その無駄の中国版とも思える。ここに、記者と私との認識上の決定的な差異がある。

 

資本主義的市場経済の特徴は、競争的かつダイナミックに発展するそれの場合、新生産部門が形成される過程は、きわめて多数の参入企業による、試行錯誤と、その結果として新生産部門の急速な市場拡大、そしてその過程での多数の新規参入企業の脱落ないしは撤退、結果として、独自かつ新規形成市場を自らにとって適合的なものと成し得た企業とそれに追随できた限られた企業群が、新たな市場の構成企業として生き残り、既存市場での企業間競争へと転化していく過程と言える。資本主義市場経済とは、それがダイナミックに発展するとき、大変大きな無駄を、ダイナミックな市場経済的には意味のある多様な多大な試行錯誤の結果としての無駄を、常の伴うものと言える。

それと全く反対なのが、この意味での無駄が制度化されていないのが、いわゆる計画経済である。何をどのように生産するのか、誰がそれを担うのか、計画的に決めて生産とその拡大、変化をも進めていくのが、計画経済である。思惑通り進むかどうかは別の問題であるが、計画経済には試行錯誤による巨大な無駄は建前上には存在しない。実験室では試行錯誤が行われるとしても、「市場」では、実際の需要供給の場では試行錯誤は建前上では存在しない。

それと正反対に、資本主義的市場経済、その競争的な経済では、新市場形成をめぐっては、多数の企業の参入による試行錯誤が大規模に形成される過程、きわめて多数の参入が発生し、落伍する資本が大量に形成されてこそが、健全な競争的市場経済、資本主義的な競争的な市場経済なのである。ここにこそ、資本主義経済の持つダイナミズム、生産力を発展させる経済としての他の経済に対する決定的な優位性がある。同時に重要なのは、経済学の教科書に書いてあるようなタイプの企業だけによる試行錯誤ではなく、極めて多数の多種多様な企業による試行錯誤と淘汰こそが重要であるということである。それを現代で現実化したのが、改革開放後の中国経済と言えよう。

このような資本主義的市場経済のダイナミズムの形成の論理が、改革開放から30年余を過ぎた現代にも、中国経済には存在している、ということを示しているのが、この朝日の記事から私が読み取ったことであるといえる。なにせ、EVについては、市場が急拡大している中で、数年前に500社の参入があり、それが50社前後に淘汰され、さらに淘汰が進んでいるというのだから。既存の乗用車メーカーとそのほか数社が参入したと話題になった日本とは、大きく異なる「競争的」な資本主義ということができよう。中国経済は、日本経済のような寡占的市場支配が一般的な資本主義経済では、いまだ無いことが、この事実から示唆されよう。

資本主義経済としての国内市場の大規模性、否、巨大規模性、そして参入主体の多様性が、これを可能にしているように、私には思える。そして、それを考える際には、地方政府の独自なあり方、これが大きく影響している。このこともこの記事は「過当競争」的な理解でではあるが、示唆している。

ここで、その昔、改革開放後に、中国の各種の地方政府が一斉にテレビの組み立てに乗り出したことを、私は思い出した。その進出企業群は、その後、ほとんどが消滅してしまった。が、その中に経営者に恵まれたごく少数の企業が生き残り成長し、その後の中国テレビ等の家電生産主要企業として、グローバルに活躍していることを見聞きしたことを思い出した。

いずれにしても、資本主義市場経済とは、ダイナミックに発展しうる経済であると同時に、ダイナミックに発展するためには、極めて多数の敗者とそれに伴う大いなる無駄をつくり出すことが必要な否必然な経済なのである。このような意味での無駄が大量にあってこそ、ダイナミックに発展する、無駄が多ければそれだけ発展するというわけではないが。繰り返しになるが、「創造的破壊」の世界が発展する資本主義経済の主要な源なのであり、当たり前であるが、その創造的破壊は他方での大きな無駄を伴うものなのである。

 

中国についてのこの記事を眺めながら、この正反対、同じように計画経済を30年前に解体しながら、全く異なる道を歩んでいる資本主義市場経済化した経済、ロシア経済が、私の頭の中に浮かび上がってきた。資本主義経済として市場の動きに支配されるようになり、競争圧力のもとに大きく変化した経済、この点については中ソで差はない。差は変化したかどうかということ自体ではなく、変化した中身の差異にある。

新たな工業分野への国内(新規)企業の大量参入の話は、計画経済が解体したはずのロシアからは聞こえてこない。聞こえてくるのは、EVを開発する企業群の簇生どころか、既存企業の衰退の姿である。乗用車生産では、計画経済下において、旧ソ連は中国を大きく上回る生産を実現していた。しかし、今や、ラーダを生産していたアフトヴァースは、自社でまともな乗用車を生産できなくなっているようで、EVどころではなさそうである。しかも、EV生産の新興メーカーの出現を、私は聞かない。そこには新産業部門進出をめぐる、巨大な無駄は全く存在しないのかもしれない。

結果、近い将来に世界市場に進出するようなロシア系EVメーカーが生まれる可能性も全く見えてこない。乗用車のEV化が本格化すれば、中国製にロシア市場は席巻される、このことが目に見えている。関税をかけて阻止するどころではない。自国系企業が全く作れないのだから。国内に競争力のあるEV生産部門を持つために巨大な創造的破壊の際の無駄を享受するか、黙って豊富にある天然資源の採掘とその輸出に専念し、工業製品については先進工業国製品の輸入国になり、創造的破壊の巨大な無駄を省くか、である。後者の無駄を被ることを避けることができると同時に、避けることしかできないというのが、まさに、今のロシア経済であろう。すなわち、一次産品の豊富な輸出国であり、旧ソ連時代の先端工業基盤を引き継ぎながらも創造的破壊の担い手を創り出せず、それに伴う朝日新聞の記者が気にしている大きな無駄を気にする必要がないのが、ロシアであろう。そして、その対極に存在するのが、今の中国経済となろう。

 

上記のような中国の新産業形成の特徴を、まとめてみれば、以下のように見ることができる。国に提案され、あるいは民間の企業により先見的に提示され、新市場が見えたとき、多様な母体から、多数の多様な企業が参入し、それぞれが新市場での覇者を目指し、多様な試みを行う。これがまず重要である。多様な多数の試みの存在の重要性ということである。中国の場合、その際の市場は、これまでの先進工業国の中に類例を見ない10億人余の規模の巨大な国内市場である。

その上で、市場の選択により、覇者が選択される。1つには限らないとしても、いくつかの有効な選択が見えてくる。このとき、それらにいち早く取り組んだ企業が拡大する市場を確保し急成長し、出遅れた圧倒的多数の企業が退出する。多数が退出することで、拡大する市場がより少数の企業によって供給されることになる。成功企業の規模の経済性が、急激に高まる。その結果、優位になった企業が価格をより一層急激に下げることが可能となる。さらに、ますますの上位企業への集中、同時に上位企業の個別規模の急拡大が生じる。これが、巨大国内市場を持つ中国での中国国内市場での競争を通しての新産業の形成過程の特徴といえよう。

競争的で無い市場経済、すなわち寡占的市場経済での新製品分野の開拓では、試行錯誤の選択肢が少ない。すなわち大企業によって企業内で市場に出る前に選択され、その財の消費(者)側による選択の機会が極めて狭くなる。また、新市場についても当初より少数大企業による寡占的な市場支配が存在することが多く、参入企業の排除が急速に進むことは起こりにくく、集中が進まず、市場の急拡大が、一層大きな形で特定企業に集中し、急激に規模の経済性を発揮し、価格の低下を一挙に実現するという循環が生じにくくなる。また寡占的市場支配を目指せる企業群においては、価格引き下げによる市場シェアの急拡大が見込みにくい中、価格引き下げによる自社の市場のより一層の拡大への志向が弱くなる。

大規模になる可能性の高い国内市場を前提とした上で、競争的市場として新市場が形成され、そこでの多様な試行錯誤と、失敗企業の急激な退出が生じる。これが新市場の覇者をより有利にし、規模の経済性の実現を容易にし、国際市場での覇者にもなりうる条件を付与することになる。このような状況こそ、中国のEV産業等に見られる特徴的循環といえよう。

敗者の退出による投資の多大な無駄の発生は、新産業部門の急激な発展のためであり、競争的市場経済のダイナミズムに必然的に付随するものとも言える。

 

朝日新聞のこの記事は、中国の資本主義市場経済としての(ある意味での)健全性の依然としての、そして頑とした存在を示している。金融面での中国経済の揺らぎ、政治的な不透明性にかかわらず(?)、資本主義的市場経済としての健全性は中国には依然として存在していることを示唆している。経済学の教科書に書かれているような市場のあり方や競争では無いが。

 

私はこのように考えたが、如何であろうか。