2024年10月14日月曜日

10月14日 今のロシア政権とロシア経済、行末の勝手な推測

 のロシア政権とロシア経済、その行末についての勝手な推測

渡辺幸男

 私の誤解? 

 一国の政府は、何らかの意味で国民生活の豊かさを第一に考える。

 そうではなくとも、自国の強さを第一に考える。としたら、そのためには、経済が豊かで強いことが、そして経済発展が展望されることが不可欠だと思っていた。それゆえ、長期的な経済展望を、当該国の政府は常に考えると、私は思っていた。どうもそうではない考えの政権担当者もいるようである。ロシアのプーチン政権のように。

 

 プーチン政権の場合

 当初、ウクライナ侵略開始時点では、ウクライナ政権の早期崩壊で、戦争長期化の可能性を、プーチン大統領ないしはプーチン政権は極めて過小評価していたようである。そうだとしても、長期化の可能性が出たときには、経済への長期的な影響を考え、政権自らのメンツを立てながらの早期撤収の展望を一方に持つなかで、侵略を開始したのだと考えていた。私は。

しかし、実際は、最悪のシナリオを想定していなかったようである。侵略の長期化、その結果としての経済への深刻な打撃を想定し、その場合の対策を考えていたとは思えない。あるいは、深刻な経済的打撃を被っているとは、思っていないのかもしれない。とりあえず、経済は回っているのだから、長期的なことはさておいて、と言うことなのだろうか。

 

 今のロシア経済で可能性が否定されていることは、ロシア経済の優位点である天然資源の豊富さ、原油や天然ガスそして鉄鉱石といった原燃料鉱産物と農産物の輸出余力の豊富さ、それと、それらの資源の輸出対価を使っての海外から国民生活に必要な財、および先端的な工業製品の輸入、その結果としての国内での先端的工業製品生産開発とその能力の維持、国内生産を通しての国民生活水準の向上、先進経済の生活水準へのキャッチアップ、これらの実現という経済発展軌道の実現ということである。せっかくの豊かな資源を、長期的な国内工業発展のために使えていない。

 

実際生じていることは、豊富な天然資源を輸出資源として活用することで、戦争に必要な財とその生産の維持、そのための先端的部材を中心とした部材の輸入、また国内工業生産の軍需化を海外からの消費財の輸入で補うことでの国民生活水準の維持を実現せざるを得なくなっていることである。将来の多様な産業そして経済発展のための豊富な天然資源の活用、これができなくなっている。戦争の遂行のために、そしてその中で国民生活水準を一定水準以上に維持するために、将来の経済発展、それも天然資源に依存しない経済発展への展望を開くような発展に活用できなくなっている。

多大な天然資源を持っていることで、侵略のための戦争の維持しながら、国民に極端な禁欲を強いることなく、2年余を過ごすことはできた。「欲しがりません、勝つまでは」と言うどこかの国のような戦時の標語については必要がない、ということでやってこれた。しかし、・・・・である。

その代償は、極めて大きい。国民経済は、工業製品については、西欧依存から、中印そしてトルコ依存ないしはそれらの経済経由依存の経済へと転換し、かつ国内生産循環の充実への展望を開くことができなくなっている。自立した覇権国家ロシア「帝国」を夢見ながら、豊富な天然資源に依存できることで、戦争を維持できているとともに、そのことで将来的な産業発展の選択肢を、極めてせばめている。1億4千万人余の人々が、専ら天然資源輸出でそれなりの生活水準を実現すること、維持することを、長期的にも考えざるをえなくなっている。工業先端化等の産業発展展望の王道が、ほぼ消えつつある。必死に自立的な先端的工業基盤の国内育成を手掛けている中国政府との大きな差異である。人口2600万人余のオーストラリアは、確かに豊かな天然資源と一次産業への依存国であり、豊かな国民生活の社会になれた。乗用車の国内生産は、ノックダウンも含め消滅したようだが。だが、ロシアの人口は、オーストラリアの5倍以上、これらの人々を天然資源と一次産業で、十分豊かにできるのであろうか。

 

 確かに、当面は、天然資源が豊富で、輸出余力が多大にあり、かつその天然資源をオリガルヒから取り戻し、国民経済のために政府が使えるようにした。プーチン政権はその存立基盤を、このことで構築したといえよう。一部の人間だけが膨大な海外資産を積み上げるような、発展途上国の多くに見られるようなソ連崩壊直後の状況を打破し、プーチン大統領は国民経済としての循環を、それなりに実現した。それなりに豊かな国民生活、再建から市場経済的豊かさの一定の実現へと、ロシア経済を進めた。しかし、私からみたら、次の一歩を間違ってしまった、というしか言いようがない。

 今ある天然資源輸出による余裕を、国民経済の長期的な発展のために利用する、これができなかった。というよりそれに使用するのをやめ、偉大なロシア帝国の短期的な実現にかけ、見事に失敗した。そして、失敗を認めた上で、改めて長期発展の道を模索すること、この転換をも諦めた。このように見えてくる。

 

 FTOpinion掲載の小論

このような勝手なことを書いていたら、FTOpinion欄(8October 2024, p.15)に、A. Prokopenkoというベルリンのカーネギー・ロシア・ユーラシア・センターのフェローの方の小論 ‘Russia’s budget is a blueprint for war despite the cost’ が掲載されていた。

そこでは、ロシアの2025年の予算が紹介され、国防関連予算がロシアのGDPの8%を占め、ソ連崩壊後で最大の全連邦予算の40%に及ぶものとなっていると指摘されている。他方で、クレムリンの社会福祉を最優先するという言質にもかかわらず、教育、厚生や社会政策の予算は最小限の増加か減少となっている、とまとめている。

それゆえ、ロシア経済の不均衡は悪化し、長期的な経済安定よりも軍事的強化が優先されているとしている。中国等の国との貿易が維持されているが、経済制裁は、基幹的部品の入手経路等を狭めていることで、クレムリンの軍備近代化等自体もかなり制約している、とも指摘している。その上で、プーチン大統領は、予算の均衡の維持、社会的責務への対応、国防支出の維持という、解決不能のトリレンマに陥っているとしている。

軍事支出の増大は、教育や厚生そして科学への資金の流れを制約している。それゆえ、数年は持つかもしれないが、長期的には維持困難であり、その点を考慮して、西側は考える必要があるとしている。

 

ロシアのプーチン政権が、ウクライナ侵略を継続することについては、当面、天然資源の輸出等で、中国等からの輸入に依存して、戦争体制そのものを維持することで可能とはなっている。が、国家予算からみれば、国防予算の増大が顕著のうえ、長期的な意味で取り掛かるべき教育や厚生を犠牲にしていることが明らかである。それゆえ、長期的な国家安定成長には、大きなマイナスとなるだろうといえる。このことが、2025年予算からも示されているというのが、このOpinionでのProkopenko氏の主張といえよう。

 

ロシア工業の現状

ここには、産業政策面での議論は、出てきていない。しかし、それをいう前に、教育等の産業発展の前提となる支出の停滞が注目されるということであろう。いわんや、である。工業生産的には軍需生産維持強化一辺倒の政策となっていることが、ここから強く推測される。世界の工業は、激しく展開し、積極的に先端的工業部門の立地振興のための環境づくりを図らなければ、一国の工業部門を中心とした産業の国際競争力は、あっという間に他の先進工業国に遅れをとってしまう。このような事例は、20世紀末の日本をはじめとして枚挙にいとまがないといえる。

ましてや、本稿で問題としているのは、旧ソ連を引き継いだロシアである。ロシアはソ連時代に一応先進工業国としての工業を一揃い保持するにいたった。しかし、それらのほとんどは、西側市場では国際競争力の無い、旧ソ連圏内だけで通用する、技術的にだけは「先端的」な工業生産力であった。ソ連のジェット旅客機がその好例であろう。先端的なジェット旅客機を、開発設計生産についてソ連圏内で完結させ、ソ連圏内の需要に対応していた。しかし、ソ連が崩壊し、ソ連圏という経済圏ないしは市場圏がなくなり、世界市場での競争にさらされると、その販売は不可能となり、米欧のジェット旅客機がロシアの航空会社でも採用されるようになった。先端製品を生産できるが、商品として、市場で売れる市場競争力のある先端商品については開発・生産ができていないといえよう。

ましてや、IT関連の先進的な諸機器では、ほとんど競争力がない。あるいは生産能力自体がない。部品から完成品まで。先端高級品から低価格旧製品まで。ほぼ全てロシア外の米欧や日本中国韓国台湾等の東アジア諸国で生産されるものとなっている。この分野では、ロシア系企業の名前を聞かない。TSMCの最先端の半導体製造工場、これが立地しているのは、台湾であり、そして米欧日では工場の建設途上である。また、TSMCに対抗可能な半導体製造企業として指折り数えられるのは、米国インテル以外では、韓国のサムスンであり中国の華為関連企業といったところであろう。ロシア系の企業の名は全く出てこない。私が読む新聞雑誌に偏りがあるとしても、それらでもロシアの先端分野企業の悪評すら出てこないのである。

その昔、1980年代に日本での256KDRAM生産の対米優位が話題になった際に、当時の東独でも256KDRAMが生産できると紹介されたことがある。ただし、その際の東独の生産体制は手作りであり、すでに量産体制であった日本の工場とは生産能力と単位あたりコストに根本的な差があった。そんなジョークとしか言えないような話題でさえ、現代のロシア経済では出てこない。少なくとも私は目にできていない。

半導体製造装置企業として現在最も有名なのが、オランダのASMLであろう。また、先端半導体製造のための基本設計部分の開発の先端を行く一社が、英国のアーム社である。米韓日台中以外でも、欧州には先端半導体生産関連の先端企業がいくつか存在していると伝わってきている。しかし、ロシア連邦からは聞こえてこない。この分野でのロシア連邦での存在を聞くとしたら、半導体設計企業であるが、先端的半導体の開発に成功しているとは聞かない。ロシア連邦の工業企業が全く存在しなくとも、世界の先端的な半導体産業は回っていく。これが、ロシア工業の悲しい現実と言えよう。

 

このような状況を変えるべく最大限の努力が必要な時に、ロシア政府は、ウクライナ侵略を始めた。ロシア帝国の復活を唱え、資源を国内産業発展に使用せず軍備に浪費しているだけではない。豊富な国内天然資源を利用し、国内工業生産への依存を強めるための投資を拡大することなく、中印やトルコから中低級品を含めた工業製品の輸入を増やしている。まさに、国内産業発展にとっては逆行する道を、一層の天然資源依存型の経済への道を大胆にも歩んでいるといえる。

 

プーチン政権についての2つの議論

その理由を知りたくて、ロシア駐在歴がある新聞の論説委員が書いた著作、2冊を読んだ。朝日新聞論説委員の駒木明義氏の著作、『ロシアから見える世界  なぜプーチンを止められないのか』(朝日新聞出版、2024年)と日本経済新聞論説委員兼編集委員の石川陽平氏の著作、『プーチンの帝国論 何がロシアを軍事侵攻に駆り立てたのか』(日本経済新聞出版、2024年)の2冊である。

しかし、残念ながら、この2冊が明らかにしていることの中に、ロシア国内産業の現状についてのプーチン大統領の理解と政策的対応の現状や展望についての議論はなかった。それどころか、ロシア連邦の産業の現状についての分析それ自体も、全く存在していなかった。

そこでは、プーチン大統領の考え方の元となったものの紹介や、プーチン大統領の発想のあり方を規定しているものについての議論は大いに行われ、それ自体は興味深いものであったのであるが、プーチン大統領の侵略がもたらす国内政策への影響についてのプーチン大統領の認識や、産業を中心とした経済への影響についてのプーチン大統領の理解についての議論は、ほぼ皆無であった。

私の関心事からすれば、プーチン大統領の政策、特にウクライナ侵略戦争の継続が、具体的にロシア連邦の産業とその発展にどのような歪みをどの程度もたらしているかが問題であり、かつ、その歪みの意味についてプーチン大統領がどのようにどの程度理解しているかが気になる。これらを知りたいのである。その上で、侵略戦争の長期化のもとで、プーチン大統領がどのようにロシア連邦の将来的な経済発展を展望しているのか、それが知りたいのであるが、それらに対する回答は、どこにも見当たらなかった。私が目にできた、日本語を中心とした文献では。

追記:たとえば、石川氏の著作の最終章である第4章で「反米の旗幟鮮明に」という節が書かれているが、そこで取り上げられている2012年の大統領選の前に書かれたプーチン大統領の「7本の論文」について言及している。そのなかで「「われわれには新しい経済が必要だ」」(石川著、281ページ)という論文があることが示されているが、石川氏のこれら7本の論文についての紹介では、他の論文については簡単な内容紹介とコメントをしているのだが、この「新しい経済」について全くその内容に言及せず、当然コメントもしていない。石川氏にロシア経済それ自体についての関心は、ほとんどないということを示していよう。

 

改めてロシア連邦の工業の水準とは?

ここまで書いてきて、「はて?」と思うことが出てきた。ロシア製の工業製品あるいはロシア連邦の工業製品生産企業で、世界市場を席巻しているものはあるのか、アメリカ政府に目の敵にされているような製品や企業はあるのか、ということである。同じ新興工業国でも中国製あるいは中国系の企業では、数多く存在する。その代表がEVであり華為であろう。ロシア連邦ではどうか。ロシア連邦は社会主義時代の先端工業製品生産国、ソ連の中核的な後継国である。

先にも見たように先端製品の一つジェット旅客機は、ロシア連邦になって見る影もなくなった。しかし、同じBRICSの中のブラジルにはエンブラエル社があり、それが小型ジェット旅客機では国際市場で異彩を放っている。またインドのミタル社は、欧州の製鉄メーカーを買収し、欧州でその存在を示している。しかし、ロシア連邦からはスホイ等にしても、国際競争力のある機体を開発するのに成功したというニュースは聞こえてこないで、試験機が墜落したというニュースが報じられているのに気がついたくらいである。ロシア系メーカーでロシア国外の市場において成功した事例を、多少なりともそのようなニュースに敏感だと自負している私の耳にも聞こえてこない。

米政権が目の敵にしているというようなロシア系メーカーの存在については、全く聞こえてこない。中国からは、華為をはじめ、幾つも聞こえてくるのに、である。

旧ソ連という先端工業化には成功した経済の後継国家、ロシア連邦であるが、国際的にみて工業生産に関しては、他国から目の敵にされる企業もなければ、その可能性を示唆する動きも全く伝わってこない。プーチン大統領は、国家としてのロシア連邦について、どのような将来像を描きながら、ウクライナ侵略を継続しているのであろうか、そして、それに全力を投入できるのであろうか、ご本人に是非伺いたいところである。

 

ロシア経済の向かう先の選択肢

ここまで書いてきて、また、わからなくなった。

ロシア経済は、旧ソ連の崩壊を通して、欧州経済に当初の思惑(誰の? アメリカの経済学者たちか?)通り統合された。だから、問題は深刻となったのだろうか。どのように見たらいいのであろうか。EU諸国にとって、旧ソ連、特にその中の人口が多く天然資源の産出が豊富なロシア連邦は、天然ガスや原油の供給源として高く評価され、また、それなりの所得水準の1億4千万人余の市場として、欧州工業製品の消費財や資本財の有力な市場として統合された。それ自体についていえば、中国経済ないしは産業とは異なり、極めて当初に想定された形で欧州市場に統合されてきているといえる。

中国経済に関してみるならば、まずは豊富な低賃金労働力の韓国台湾を大きく上回る供給源として位置付けられ、同時に進出国資本主導の市場形成という形で、低価格品市場としての世界市場への組み込み、多くの発展途上国に見られる先進国工業企業にとって都合の良い形での工業生産体制と市場としての組み込み、これを想定して西側諸国から見た中国市場の「改革開放」が、米日資本を軸に始められた。しかし結果は、かつてない規模の巨大な中国市場の形成そして自立化と、その市場を核とした中国企業の簇生、発展そして自立化により、自立的巨大資本と巨大な国内市場を有する有数の資本主義国として台頭し、米日資本にとっての競合資本主義となった。それが今の米中対立の源であろう。

しかし、ロシア連邦は違う、欧州市場への一次産品供給国としての組み込みについては大成功であった。当初の想定通り、かつての先端工業製品生産国であったソ連の中核部分であったロシア経済は、一次産品の豊かな輸出力を持ち、かつ、欧州工業製品にとってのそれなりに豊かな巨大な需要市場となった。欧州諸国の当初の思惑通りの組み込みに成功した。天然ガスパイプ網も構築され、欧州への石油天然ガスの主要供給国が生まれた。

ロシア経済は、国際競争力のない先端工業の保有国から、国際競争力のある一次産品供給国への転換に見事に成功した。

 

産業論的に見ると、計画経済体制崩壊から30年が経過し、中国は自国の巨大市場を活かし、先進工業国化への道を歩み始めた。それに対し、旧ソ連の中核部分であるロシア連邦は、一次産品の豊富な生産国としての優位性を生かし、国際競争力の形成が困難な30年前に保有していた先端工業部門の国際競争力形成を放棄し、一次産品を輸出することで相対的に豊かな国民経済形成する、オーストラリア経済の巨大版を、欧州市場への組み込みの中である程度実現することに成功した。

そして、今後どうするか、である。今後の展望は、中露それぞれどうであるかである。スホイは、結局、世界の空を飛ぶことを諦めたのだろうか?

ロシア経済は、ソ連崩壊後の西欧経済への組み込みが、欧州側の想定通りに順調に進行したがゆえに、経済や産業として、特に工業分野での発展展望を持たないままにもがいているように、私には思えてしようがない。中国経済は、改革開放後の日米経済を中心とした西側経済への組み込み形態を乗り越えかかったことで、米国と正面から対立し、自国市場や米国以外の市場を活用して独自な工業発展の道を模索しているように私には見える。

そして両国が、BRICSグループとして独自な経済世界を新たに作ろうとしている。ロシア経済はウクライナ侵略の早期成功に失敗し、欧州とのつながりを軸にした経済再生産ができなくなり、工業製品、消費財と資本財双方の工業製品の供給国としての中国経済に依存する形で、中国経済にとっては自国の多様な工業製品の供給先の1つとしてかつ豊富な一次産品の供給国として、中露両者の利害が当面一致した。しかし、その行き着く先を考えると、・・・・。今のままの両者の関係が維持されていくとは、到底思えない。ロシア連邦政府が中国の周辺国、すなわち中国への原燃料や農産物供給国としての位置付けを甘受し続けるとは、到底思えない。

 

産業論的な各国経済のつながりと、各国政府間の政治的繋がりは、イコールではない。これについては、私なりに理解してきたつもりであるが。ロシア連邦は、経済的には豊かだが、経済的関係としては欧州の周辺国になる、という現実を、何故受け入れられないのであろうか。NATOEUによるウクライナ等の囲い込み、これは、経済実態としては、至極妥当なことのように、私には思えるのだが。欧州の周辺国化を嫌って、中国経済圏の周辺国化を、結果的にではあるが自ら選択しつつあるロシア連邦とは、何なのであろうか。

今のロシア連邦、核兵器を中心とした軍需産業以外の工業での発展展望が、私には全く見えてこない。軍需産業も、その情報化の面では、極めて遅れ、大量に保有する核兵器と兵器の量だけで勝負する産業となっているようである。その質は、国内のICが不足し、輸入家電製品から取り出して、とりあえずの間に合わせにしている状況とも伝えられる。ここから見れば、推して知るべし、であろう。

このような、いずれに転んでも、他の巨大先進工業国への一次原料供給国、それなりに豊かではあるが、それにならざるを得ない、と見えてくる。どうせ、一次産品供給国になるのであれば、BRICSの中で生きるロシア連邦になるよりも、欧州の一部としてのロシア連邦になる方が、長期的に見れば、より強い立場に立てるのではないか、とも私には思えるのだが。BRICSは1つの市場として確立されれば、域内だけで30億人近くの市場を持ってはいるが、巨大な一次産品供給国であるブラジルとの直接的競合を避けられない。そうであるのであれば、欧州こそロシア連邦の一次産品国として優位に生きる場となると思うのであるが、どうであろうか。

 

行き着く先?

プーチン大統領が西の米欧から自立したロシア帝国再建を目指した結果、東の中華帝国経済圏に取り込まれてしまう、こんな皮肉な結果が、私の勝手な推測の先には見えてきた。この結末、「ロシア帝国」の行末を見届けるには、私は歳を取りすぎているようだが。見てみたいものである。もしかしたら、私の想像以上に早い時期、私が元気なうちに結論が見えてくるかもしれないが。

2024年10月1日火曜日

10月1日 テイラー『先住民vs帝国 興亡のアメリカ史』を読んで

 アラン・テイラー著、橋川健竜訳『先住民vs帝国 興亡のアメリカ史

北米大陸を巡るグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房、2020年)

を読んで 渡辺幸男

 

 本書の特色は、北米でのUSAの独立そして拡大を、先住民の生活する北米への英国系植民者の侵略として示し、その拡大過程を、他の欧州系植民勢力と、現地先住民諸部族とのせめぎ合いの中で示していることにあるといえよう。

 しかも、USAの地理的形成としては、現行の北米大陸の中緯度を大西洋岸から太平洋岸までを支配するのは、ごく最近、19世紀半ば前後以降の話であり、それまでは、フランスやスペインの植民地がミシシッピ川西岸にあり、その地域で面的な展開をしていたのは、スペインやフランスの植民者ではなく、先住民諸部族であったとのことである。

 このようなことさえ、私の常識には入っていなかった。あるいは私の意識に定着していなかった。情けない話である。USAは、独立当初から北米大陸の「大国」、大陸を大きく覆う国のように勝手にイメージし、思い込んでいたのである。

 

 また、本書では、北米の先住民の被征服前の状況、その一定の部分での農耕文明の形成とその浮き沈みが描かれている。これまで私が読んだ北米の先住民がらみの本は、先住民としての生活、特に農耕への従事についての言及がほとんどなく、勝手に狩猟中心の生活を送る人々で、中米や南米のアステカやインカの人々とは、大きくその生活内容が異なると誤解していた。しかし、本書を通して、彼ら北米の先住民の人々も、とうもろこし、じゃがいも、キャッサバの育成を中心とした農耕にも従事する人々を、多く含む人々であることが理解された。

 

 さらに、スペイン人によるアステカ征服等の過程で、アステカ帝国を支配していた先住民の特定の部族の人々と、それらの人々に征服された先住民の他の部族の人々との対立を、スペイン人がうまく利用し、少人数での最終的な中南米支配へとつなげた、という記述を多く読んできた。本書において、北米の英国系植民者の大西洋岸の植民地からの内陸支配の過程でも、同様に先住民部族間の対立が利用され、最終的な英国系植民者による内陸部支配が実現したことも、理解された。

 

 特に興味深かったのは、先住民の中で欧州人の進出に対抗した勢力が、欧州人が持ち込んだ馬を、自ら繁殖させ、戦闘に積極的に活用するようになったこと、このことが、北米先住民の欧州系植民者に対する、強力な抵抗する力となったことを指摘していることである。同時に、また、銃をはじめとする鉄器や火薬を欧州人から手に入れ、戦闘にも使ったが、鉄や火薬そのものの生産には至らなかったことで、欧州人との戦闘過程で、銃弾等が不足し、不利となり、敗戦に至っていたこと、このことも指摘されている。先住民の一部の部族の強力な反欧州人戦線の形成と、その一定の成功、そして限界とが、私なりに理解できた気がした。

 

 18世紀後半でも、アパラチア山脈東側が、とりあえずの英国系欧州人の本格的な植民地域である。そして、その時点でその西側は、実質的に先住民居住地域であったことが、指摘されている。これも興味深い。同時期に北米の英国系植民地の西側、すなわちアパラチア山脈の西側に展開していた英国系以外のスペイン系やフランス系の植民地は、点的な支配であり、地域全体に植民者が展開し、地域として植民地を形成していたとは言えなかったこと、この点も指摘されている。とくにこの点はスペイン系の植民地に顕著にいえるとのことのようで、中米の植民地での面的な展開を確実にするために、北米の南部にも拠点を設けていた、ということである。

 北米での欧州系植民地の形成というとき、欧州人が植民地支配の面的な支配を宣言しているが、実際には港湾等の拠点を支配し、内陸の先住民との交易等を独占していることと、欧州人が面的に入植し、地域全体として欧州人が展開支配している状況とを、明確に分けて理解することが必要であろう。

この点、「植民地」と宣言され、その地域が植民者によって武力で拠点支配がなされていても、拠点以外の空間が、どのような先住民の生活との繋がりを持っているか、植民地ごとに考察することが必要なのであろう。植民地は、インドのような上部支配構造の外部勢力による支配、そのことを通して地域の富の植民者による吸い上げ収奪と、先住者を基本的に排除し、生活空間全体を植民者の世界としてしまう植民とで、根本的に意味が違うはずである。この点を、私は朧げには理解していたつもりだったが、北米植民地の歴史を先住民からの視点も含め見ることで、より明確に理解することができたようである。

先住民からの収奪を目的とする植民地支配と、先住民を排除しての働く人々(輸入される奴隷を含め)を含めた植民による地域支配、この違いがようやく明確になってきた。同じ「植民地」といっても、先住民にとっては、全く意味が違うことになる。

域外勢力による先住民からの収奪を中核とする支配と、域外勢力による先住民の存在そのものの破壊による土地支配、その最たるものは、カリブ海諸島の支配、先住民の結果としての皆殺しのもとでの奴隷労働力の輸入を利用した土地支配であり、そのもとでの砂糖生産であろう。これらとの違いである。

中間形態ともいえるのが、ニュージーランドや太平洋の島国諸国であろうか。そこでは、先住民が自律的に生活圏を確保している一方、それ自体を搾取しその上納を手に入れるだけではなく、植民者それ自体の自立的な再生産も可能となっているようであり、USAの先住民とも、植民地インドとも異なっているに見える。

 

 また、19世紀初めになっても、ミシシッピー川の東側がUSAであり、その西側は、依然としてフランスやスペインの植民地であり、本格的な面的な欧州人の植民は展開していなかったとのことである。

USAは、19世紀半ばにカリフォルニアを自国領土にし、そしてカリフォルニアにおけるゴールドラッシュが生じ、先住民の生活を破壊しての、欧州人の進出が、荒っぽく展開することとなったようである。

 

 また、1783年に独立したUSAは、その時点では、まだアパラチア山脈東側の存在であり、かつ、その部分でも内陸の多くの土地は、先住民が優勢な土地であったようである。支配領域は、欧州人の間での認識では、アパラチア山脈東側全体となっているが、実質的には大西洋沿岸地域での入植地展開が中心の新興独立国であり、内陸部は先住民の生活空間であり、先住民が事実上支配していた、ということになる。

 

 北米大陸の圧倒的部分を支配するUSAは、19世紀半ばにようやく成立した、と言えそうである。その中で、その後しばらくも含め、先住民の生活空間の一挙縮小への動きが本格化し、先住民が駆逐排除されるだけの無意味な邪魔者として描かれる西部劇の世界が生まれたのであろう。19世紀後半に、北海道で入植開拓と称して大和人からアイヌの人々が被ったような。

 

 このような認識をあらためて喚起してくれたのが、本著作であると言えそうである。北米大陸での先住民の方々の生活、それを破壊して自分たちの世界を構築した英国系を中心とした欧州系移民、その欧州系移民にとって使い勝手の良い労働力として導入され、奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々、この3者の関係を、時間軸をもっておおよその理解を可能にしてくれたのが、この著作である。70歳代後半になり、ようやく、北米の覇権国家USAの歴史的な展開を、自分なりに理解したつもりになった次第である。

 USAは、私が生まれた時、私にとって戦勝国の占領者であり、巨大そのものに見え、反発を感じた存在であった。そのため、USAの歴史を、自らの日本の歴史をはじめとするUSA以外の国の歴史的時間軸の中に相対化することができなかったようである。それが、この年まで影響していたのかもしれない。恥ずかしい限りだが。