2024年7月22日月曜日

7月22日 ハーリディー著『パレスチナ戦争』を読んで

 ラシード・ハーリディー著(鈴木啓之、山本健介、金城美幸訳)

『パレスチナ戦争 入植者植民地主義と抵抗の百年史

法政大学出版局、202312月、を読んで

 

渡辺幸男

 

 鈴木啓之編『ガザ紛争』(東京大学出版会、20246月)と、バーナード・ワッサースタイン著(工藤順訳)『ガリツィア地方とあるユダヤ人一家の歴史 ウクライナの小さな町』(作品社、20244月)とを読み、『ガザ紛争』に紹介されていたパレスチナ人が書いた「パレスチナ戦争」についての著作、ハーリディー著を読みたくなった。

 『ガザ紛争』は、202310月のハマスのイスラエル攻撃をきっかけに始まった、イスラエルによるガザ地区に対する全面攻撃の話を巡る日本人の専門家たちによる論文集である。『ウクライナの小さな町』は、現ウクライナのポーランドとの国境地帯に位置する小さな町、クラコーヴィエツのユダヤ人たちが、第2次大戦に巻き込まれ、殺され、翻弄され、何世紀にもわたって住み着き暮らしていた故郷を追われる話である。これが、その人々の中のある一家の中で生き残り、現在はウクライナ外に住む数少ない子孫によって書かれたウクライナ西部の町の歴史である。

 そして、このハーリディーの著作は、イスラエルのシオニストにより故郷を追われたパレスチナ人、その中でも名家の一員で、現在、米国の大学で教員をしている人物による2010年代までの100年間のパレスチナの動きを自らの一族を一方の中心として描いたパレスチナ人による「重い」内容の歴史書である。

 

 そもそも、ガザ紛争に関する著作を読み始めたのは、今回のハマスのイスラエル民間人攻撃の位置、意味を自分なりに改めてそれなりにきちんと理解したいとおもったことによる。ロシアによるウクライナ侵略をきっかけに、ソ連とそれ以前の現ウクライナの歴史が語られ、現ウクライナを含む東ヨーロッパがポーランド王国やオーストリア・ハンガリー帝国とオスマントルコ帝国そしてロシア帝国の角逐の場であったこと、その後も含め、第2次世界大戦までは、そこに現在のウクライナ人やポーランド人、そしてユダヤ人も多く住み、そこに住む人々が歴史的に動かされ、多くのユダヤ人が殺害され、「故郷」を後にしてきたこと、これらのことを漏れ聞いてきた。しかし、それらをユダヤ人の問題、パレスチナ人の問題、そして、現代東欧の問題として、それぞれを見るだけで、相互に関連付け、うまく整理し理解することができなかった。また、そもそもユダヤ人とは何か、パレスチナ人とは何か、そして現在のウクライナ人とは、と疑問が尽きなかった。

 そこに住んでいた人々は、「民族的」に「宗教的に」異なるといわれる人々とどのように棲み分け、どのような文化や言語のもとでどのように生活し、激動の20世紀を迎えたのか、知りたくなった。そのために読んだ著作が、上記の3冊である。

 いずれも重い著作であるが、特に『パレスチナ戦争』は「重かった」。本文300ページ余の本であるが、一挙に読み進むことができず、少し読んでは休み、それなりに考え、読み進んだ。『ウクライナの小さな町』も重い本であるが、ユダヤ人として、ナチスによる虐殺を乗り越え、イスラエルに「安住の地」を見つけた人々の話も出てくる。しかし、『パレスチナ戦争』では、最後まで、自らの民族としての「パレスチナ人」として主人公として暮らせる場もなく、その展望も暗いまま、模索が続く現状までの100年の歴史が語られる。

 また、ユダヤ「民族」、アラブ「民族」、スラブ「民族」という時に想定されているものと、ユダヤ人、パレスチナ人、ウクライナ人として区別される時とでは、何が違い、何が共通なのであろうか。こんなことも知りたかった。が、3冊を読み進むうちに、私の内部で、ますますわからなくなった。

ウクライナのいまの大統領、ゼレンスキーは、ユダヤ系(ユダヤ教徒?)でありロシア語話者であるということである。著者、ハーリディーとワッサースタインは、それぞれ、パレスチナと現ウクライナ西部の人々の流れを汲むが、今は、米欧で研究者・大学教員として活躍している。民族的出自、これを意識し、米欧で生き、活躍している2名の方ということもできる。

 

 民族とは何か、その民族的自立、民族としての独立とは何か、それが極めて流動的なものであり、一面では、集合体の意識、自己認識の問題とも言えるのかもしれない。

 西ウクライナの小さな町で第2次大戦時に生じたことは、歴史的にその地で長く暮らしていたユダヤ系と自認し、ユダヤ教の信仰を守る、数百年前から、その地の町で商業活動を中心に生きてきた人々の集合体が、完全に破壊され、その構成員の多くが殺され、他の地域へと追い出された、ということである。

パレスチナ人の場合は、イスラム教を信仰しアラビア語をしゃべる、その地に圧倒的多数派として数百年以上住んでいた人々の集合体が、突然、英国そして米国の援助を受けたヨーロッパ各地に住んでいたユダヤ教徒の集団によって、地域の圧倒的多数派から、少数派にされ、良くて2級市民とされてしまった。あるいは、ヨルダン川西岸地区やガザ地区といった狭い地域に、まともな自治も行うこともできずに、難民として押し込められてしまった、ということであろう。

いずれの場合も、上記の本の著者達のように、東ヨーロッパやパレスチナの地を離れ、活躍している人々は存在するが、一方のユダヤ人は、元来長く住んでいた欧州の町々から追い出され、他方のパレスチナ人は、欧州から追い出されたユダヤ人の一部、英米の支援を受けたそれにより、少数派にされ、多くが住みなれた地を追い出され難民化させられたと言える。

 

私にとって理解できないことの1つは、長年住みなれた地から強制的に排除され、多くの親族や友人を殺害されたのがイスラエルの多数派の支配層の人々でもあるにもかかわらず、自らが、今度は、そこに長く暮らしていた人々の社会を破壊し、人々を殺害し駆逐排除し、ユダヤ教の伝説上の土地への集団的移住とそこでの支配的存在となることを目指すということである。そういうユダヤ教の人だからこそ、このようなことが正当化されるのであろうか。本人達の心の中では。

ヨーロッパ各地で迫害され、殺害された人々の中で、生き残った人のうちのかなりの人々が目指すシオニズムとは何か、ということになろう。そのためには、それまで住んでいた人たちに対し、どのような迫害を行うことも、許されるということなのであろうか。欧州のユダヤ教信者の生き残りだからこそ、許されるというのであろうか。欧州や米国への第2次大戦後のその時点での先住民を排除しての排他的進出ではなく、英国の植民地でのように新大陸やアフリカでの当時の先住民を排除しての進出と同様に、「遅れた」人々を排除しての進出ゆえに正当化されるというのであろうか。そうだとしても、アラブ人は、ヨーロッパ人にとって、ある時代まで学ぶべき先進文明の担い手であったはずだが。

 

英国人にしても、米国の人も、そこの支配層の人々は、植民地で先住民を駆逐排除し、自らの世界を築いてきた。典型的なのが、米国での英国を中心とした欧州系白人の移民であろう。西部劇という、悪役としてのインディアン(北米大陸の先住民の蔑称)と白人の騎兵隊の戦い、白人の幌馬車隊をつくっての先住民の地への侵略、それを阻止しようとする先住民、その幌馬車隊の侵略を援護する植民者の騎兵隊、そこでの戦いの正義は常に、幌馬車隊と騎兵隊側にあり、そこに長く住んでいた先住民(インディアン)は侵略者を阻止しようとする、現代的に見れば正義の防衛戦争であるはずが、我々が見(せられ)てきた話では、悪役としての先住民の敗北、侵略者の侵略成功で「めでたし、めでたし」となる。そして、生き残った「インディアン」の人々を、インディアン居留地に押し込める。

先住民の人々は、原来の生活環境を大きく変えられ、積極的な展望をひらけなくなる。まさに、パレスチナで起きたことは、先住民たるパレスチナ人の抵抗、それらの人々を虐殺し排除、そしてヨルダン川西岸とガザ地区へのパレスチナ人の押し込みであり、かつて数百年前に北米等で生じたことの再現ゆえに、中東ヘのユダヤ人の大量進出と先住民としてのパレスチナ人の排除、居留地への押し込み等は、欧州の人々には赦されるのであろうか。特に、幌馬車隊・騎兵隊の側であった英国人と米国人にとっては、占領者が、占領者内での民主主義を実行しているがゆえに、先住民を排除することを赦されるというのであろうか。

私が、テレビ等で米国制作の西部劇をみたのが、第2次世界大戦後であった。まさにシオニストによるイスラエル建国時期に、英国人を中心とする欧州白人による米国建国、その際の先住民征服についての正当化の「ものがたり」、「宣伝広告」を見せられていた、ということになる。

欧州系白人だけの民主主義、これが米国の「民主主義」、少なくとも南北戦争までは明白に、かつ明示的に、先住民は、駆逐排除される存在、西部劇の敵役、奴隷としての黒人は人間以下、この上に合衆国白人の「民主主義」は構築されていた。同じことをアラブ系住民にたいし、イスラエルのシオニストは行ってきた。それも第2次大戦後の植民地解放運動が広がる中で、南アでの欧州系移民による先住民抑圧と共に。そして、欧州での白人から排除された欧州に住む「ユダヤ人(ユダヤ教信者)」は、自分たちだけで、アラブ人を排除し、自分たちだけで、アラブ人が圧倒的な部分を占めていた中東の地に、ユダヤ教徒ゆえの正当性を、すなわち自らの抱えてきた伝説に基づき自らの行動の正当性を主張し、アラブ人を排除し、「ユダヤ人」が多数派を占める国を作った。それを英米が積極的に支援してきた。

それに対して、中東の他のアラブ諸国は、当初はイスラエルのアラブ同胞の排除に反対した。しかし、権威主義的な国々であるがゆえか、英米の圧力のもと、結局、妥協し許容する方向に動いた。鬱屈したまま(存在として、物理的にも)のパレスチナ人達、その気持ちを歴史的に振り返ることで説得的に伝えてくれた著作が、ハーリディーのこの著作なのであろう。

重い、重い著作である。

 

 歴史的には、上記のような先住民の暴力的排除を行なった上での、外来者集団による占拠は、数多く存在する。

北米が、ほぼ全面的に該当し、カリブ海の島々は、外来者が占領し、先住民を支配し収奪しようとしたが、外来者が持ち込んだ疫病等により全滅させてしまい、アフリカから奴隷を輸入し、欧州人支配の植民地を作った。南米大陸では、先住民の数が多く、疫病等で全滅させることができなかった地域は、先住民を労働力として使役する侵略者による支配体制を作り出し、先住民が全滅したところでは、カリブ海地域と同様な、アフリカ人の奴隷としての輸入が行われた。

我々が習った欧州史、そこでも、今優勢な諸民族の歴史が語られ、それらの人々が、どのように欧州をそれぞれとして今の地にやってきた(征服してきた)かが綴られている。しかし、欧州にはローマ時代、否それ以前から人は住んでいたのであり、先住民がどうなったのかは、ケルト人等の激動の中で生き残った先住民のその後しか見えてこない。伝えられない。

また、中国の歴史を見ると、先住民として中原の農耕民と、周辺の遊牧系の人々との争いが頻発し、集団移住が生じ、支配者のみではなく、居住民が集団的に入れ替わることも繰り返し生じたようである。生き残った集団の記録は残るが、抹殺された先住民の記録はわずかしか、否、ほとんど残らないがゆえに、集団移住先に住んでいた先住民の状況やその後については、多くの場合見えてきていないが。

日本の歴史を顧みても、縄文人、弥生人と言われる人々が、海をわたり何度となく移住してきたと言われているが、その時点での先住民がどうなったかは不明ということであろう。また、「蝦夷」と言われる地域は大和言葉とは異なる言語の人が住んでいたようだが、現代につながるアイヌの人以外は、駆逐されたか同化され、その存在が遺構としては残っており存在は確認されているが、現代人への繋がりを含め、具体的な形では見えてこない。

 

 人類の歴史は、征服側の民族的発想でいえば、先住民を追い出し、あるいは皆殺しし、また、支配集団として、奴隷労働力化した事例に溢れてかえっている。しかし、相互尊重、民族間対等をうたう近代以降において、当初は、これは欧州人の間だけの話であったようだが、植民地独立が当然となった第2次世界大戦以降において、他民族の駆逐排除さらには絶滅の行動を行うのは、世界中で、どんな理由でも許されものではなく、赦されるものではないはずである。しかし、現実に起きている。それを見せつけたのが、第2次大戦期の欧州在住者間での駆逐としてのナチスによるホロコーストであり、第2次大戦後のシオニストによるパレスチナ人駆逐排除である。ここまでは、これら3冊を読んで改めて確認し、理解できた。

 しかし、何故、そのような行動が、現代において許容されているのか、未だ許容されているのか。まさに今の「ガザ紛争」がそうであるように。そこでは、多くを殺し、集団としての存在を抹殺することが目指されているように見える。

現代もそれ以前と変わらない世界、結局生き残った集団が、生き残ったゆえに自らの存在の正当性を主張できる、かつてと同じ世界なのか。民族としての死を含め「死人(消滅(民族)集団)に口なし」の世界なのか。キューバの先住民がそうであるように。今存在しない集団については、歴史的にどのような集団か確認することすら困難だし、ほとんど誰も確認しようとしない。考古学の世界以外では。欧州での先住人類、ネアンデルタール人が、DNA鑑定の世界では現代人との繋がりが確認されても、それだけであり、現代人類と共存していた世界、そして絶滅に至った経緯が、具体的には全く見えてこないように。

 

国際連合ができて、もうすぐ、80年になろうとしている。

2024年7月11日木曜日

7月11日 日経「中国車、欧州へ攻勢やまず」を読んで

 日経記事メインタイトル「中国車、欧州へ攻勢やまず」

(日本経済新聞、2024710日、12版、3ページ)を読んで

渡辺幸男

 

この記事のサブタイトルは、「BYD、トルコに新工場」、「現地生産で関税回避」それに「日米欧、競争力の強化急務」である。さらに、それに併設関連記事として「供給過剰が招く悪循環 値下げ・淘汰 車産業、転換期に」と言うタイトルの記事が掲載されている。

この記事は、中国の自動車メーカー比亜迪(BYD)が、EUによる中国製EVへの追加関税の適用の回避を狙い、トルコに工場を新設するということを中心に、いくつかの中国EVメーカーが欧州に工場進出するということの記事である。私が特に関心を持ったのは、この主たる記事に併設された「供給過剰が招く悪循環」という関連記事の方である。

 この併設記事では、「中国では」「新エネルギー車分野で少なくとも50社以上が乗用車を生産し、激しい競争が続く」とし、比亜迪(BYD)が「10車種以上の値下げに踏み切った」と紹介している。さらに、「25年の新エネ車の生産能力は3600万台規模に達するとの見方がある」と述べ「生産台数見通しと比べ、2000万台近く過剰となる試算だ」としていることである。

 記事では、国内市場への供給過剰から、輸出志向が高まり、最初は米欧市場を目指すが、そこから関税引き上げ等で締め出しを喰らうと、東南アジアや南米市場に向かい、現地の既存企業の存立を危うくしかねないとし、世界の自動車産業は「低価格な中国車と対峙する転換期を迎えている」と締めくくっている。

 

 この記事から浮かび上がってくることの第一は、私にとっては、まずは中国市場の高い成長性と巨大さである。それとともに、中国でのEV産業での激しい(参入)競争の存在である。その上で、私の関心は、当面、それが海外輸出を促迫し、中国外の既存の市場の改変をもたらすということよりも、中国EV市場の巨大さと激しい競争それ自体が持つ中国と世界のEV産業への意味にあり、そのことを考えたくなった。

 

 この記事から、私にとって示唆されることの第一は、1990年代以降の中国の産業発展の特性が、より巨大な形で、ここでも繰り返されている、ということである。私が2000年代に垣間見た中国の産業発展の大きな特徴は、丸川氏のいうところの垂直分裂(垂直的社会的分業の深化)と、多くの多様な企業による激しい参入による激しい競争、市場の急激な成長拡大と、その中での垂直分裂により専門化した企業の中での激しい淘汰である。その中からスマホの小米やドローンのDJIのような、少数の活力ある生き残り企業群が形成され、それら企業に担われる新興産業市場が巨大化した。

 自動車産業の1600万台規模の販売市場、この記事から推測される2025年の中国EV市場についての大きさ予測であるが、この規模は、当たり前だが、日本の自動車産業全体の国内市場、年500万台以下と比較しても、また、米国の自動車全体の市場としての1500万台前後と比較しても、大変巨大なものである。中国の自動車市場の規模は3000万台規模だそうなのだが、その中で半分程度を占めるということであろう。EV等、新エネルギー車だけで。

 さらに興味深いのは、そこに、まだ、50社が存在し、競争し、膨大な過剰生産能力が生まれているということである。米国はいざ知らず、自動車メーカーが相対的に多いと言える日本でも10社足らずということになろうか。ということは、中国の国内の新エネルギー車産業では、他国では見ることができないような巨大市場が形成され、極めて激しい競争が行われて、これから本格的な淘汰が始まる。そんな状況にあるということであろう。極めて巨大な成長国内市場は、50社の中国立地企業の前にある。しかし、他方では、全体ではきわめて過剰な生産能力を抱えている。ここから生じることは、激しい競争による企業淘汰の中での、相対的に少数の生き残り企業の選抜ということになろう。過剰生産能力は、退出をやむなくされる敗退企業単位で、急激に排除されることになろう。寡占的な市場支配のもとでの過剰生産能力、既存寡占企業がそれぞれ応分に負担し、それぞれにとっての遊休生産能力化せざるを得ないそれとは、大きく異なる過剰生産能力である。社会的な「無駄」「浪費」であることは、確かであるが。しかし、ある意味、健全な資本主義的新興競争市場の出来事といえよう。

 50社を数える多数の企業にとって、過剰生産能力の圧力の下、いかに差別化に成功し、成長巨大市場の果実を自らのものにするか、どのような差別化を試みるか、差別化をめぐる極めて激しい競争、ということになろう。価格引き下げは当たり前、その上で市場が受け入れる独自性を持つ、言うのは簡単だが、極めて難しい。しかし、市場は巨大かつ拡大しており、差別化を試みる余地は豊富に存在する。ダイナミックな極めて激しい競争とそのもとでの市場退出が頻発し、集中が進む過程が、成長巨大市場をめぐって進行している、ということであろう。

 

 このような競争こそ、これまでの中国で独自な差別化戦略を用いて、激しい競争のもとで、それぞれの新形成された中国国内市場で覇者となった企業群を作り上げてきたものである。日本の戦後高度成長期に行われた「過度競争」といわれた激しい競争、これは6大企業集団間競争と呼ばれ、系列間競争と呼ばれたが、成長する大規模化市場をめぐる既存巨大企業を中心とした、多角化し(準)垂直統合をした寡占企業グループ間の「過当競争」であった。それとは、異なる形態の「過当競争」、極めて高度な垂直的社会的分業を実現している新興企業間による激しい生き残り競争が、中国の新興巨大市場、多分かつて他国には見たことがないような巨大成長国内市場を巡って始まっていると言えそうである。

 これまでの中国を見ている限り、成長巨大市場の形成過程での激しい競争は、多数の企業が参加する中、圧倒的多数の企業の脱落をもたらすが、同時に少なくない数の多様な新機軸により激しい競争の乗り越え、急成長を遂げる企業をもたらしている。市場が成長している中での「過当競争」であるが故に、共倒れではなく、少数だが多様なチャンピオン企業群を生み出す可能性が高い。今回の新エネルギー車での覇者は、何社で、どのような革新を実現し、次の産業発展を担う存在となるのか、極めて楽しみな状況と言える。中国産業発展を考える立場から言えば。

 これを、この同じ現象を見ながら、記事では「悪循環」と呼んでいる。同じ事象を見ながら、見る視点の違いによる大きな評価の違いが生じることを感じる記事でもある。私は、ここに、新エネルギー車での第二のDJIの誕生の可能性をみたい。中国経済にとっては、新たなチャンピオン、ドローンのDJIのように当該分野で世界チャンピオンになる可能性のある企業(群)の「産みの苦しみ」が始まっている、と言うことであろう。

 

*本文で使用している「垂直的社会的分業」という概念は、近年、日経等で解説付きで使用されている「垂直分業」とは、全く異なる概念である。日経では力関係での優劣関係を表す取引関係の概念が「垂直分業」で、対等な取引関係にある分業が「水平分業」だそうである。しかし、もともと水平的社会的分業と垂直的社会的分業とは、取引関係での力関係の差異を表現するものではない。そうではなく、企業間分業の際の同じ製品に使用される部品同士のような同じ次元の分業と、連続する工程の前工程と後工程との分業という、分業の際の生産上の位置関係を示す概念である。ここでは、当然のことながら、生産上の位置関係の意味で垂直的社会的分業という概念を使用している。念のため。