2022年4月12日火曜日

4月12日 ロシアのウクライナ侵略戦争と元産業論研究者

 ロシアのウクライナ侵略に関連して 

ロシアの産業と侵略の展望

渡辺幸男


 以下は  、元産業論研究者の視点から、今のロシアの産業状況と、今回のウクライナ侵略戦争、その長期化の持つ意味について、戦争開始後1月半の時点で、考えてみたことを、文章化したものである。


 旧ソ連の中心であり、旧ソ連崩壊後も1億人以上の人口を維持しているロシアは、ソ連時代の工業基盤の多くを引き継いでいる筈の国でもある。そのロシアがウクライナを侵略し、ウクライナの現政権を打倒し、傀儡政権を擁立しようと、全面戦争を仕掛けた。そのようなロシアの工業、世界最大の核保有国であり、最新兵器を多数持ち、宇宙開発でも先頭を走るロシア、しかし、その工業基盤は、旧ソ連以来の弱点を克服できないまま、今に至っている。それを端的に表現するのが、ロシアの輸出入構造である。

 先端兵器を生産できる工業力を持つ経済でありながら、その輸出入構造は、全く工業国の体を成していない。ロシアの輸出入構造を改めて見ると、天然資源とその一次加工品をもっぱら輸出し、完成品としての工業製品、資本財として、耐久消費財として、そして日用品としての工業完成品について、もっぱら輸入しているということが明白となる(通商産業省編『通商白書2018年版』)。それも一方で先進工業国を多く含むドイツ等の欧州との取引でそのような関係にあるだけではなく、後発工業化国である中国との輸出入関係でも、天然資源と一次加工品を輸出し、電話機を中心とした機械工業製品をはじめ、多様な工業製品をもっぱら輸入している(ジェトロ中国北アジア課編)。

 輸出入構造だけを見ると、工業国とは全く見て取れない状況である。豊かな天然資源をもとに、購買力平価で見た一人当たりGDPは、中国を上回っているが、先進工業国やオーストラリアといった一次産品輸出主体の高所得国とは比べ物にならない低い水準である。2020年には、米国63,414ドル、ドイツ54,264ドル、オーストラリア52,397ドル、イギリス45,853ドル、日本41,733ドル、ロシア28,213ドル、中国17,204ドル(Global Note202234日閲覧)となっている。中国より大きいが、米国の半分以下であるし、人口規模がかなり近い日本と比較しても、その3分の2強の水準といったところである。国民全体が、豊かな天然資源の輸出を通して、オーストラリア等と並ぶような先進工業国並みの豊かな生活水準を実現しているわけでもない。

 しかも、ロシアの輸出入を見てみると、基本的に一次産品ないしはその一次加工品を輸出し、工業製品を輸入していることは、対世界でも、対中国と同様である。この国が、工業製品でもある核ミサイルの保有台数では世界一であり、それらは自国産のミサイルでもある。「先端」的な軍備品の保有高では世界一であり、それらについて国内工業基盤を利用して生産してきたはずである。しかし、携帯電話ないしはスマートフォンについては量産できないらしく、中国からの輸入品の第1位が電話機輸入で、53億ドル余りになり、ロシアの電話機輸入の71%を中国製が占めていることとなっている。中国に原油や天然ガスを売り、中国からスマホを輸入しているのである。ロシアから中国への輸出の上位10品目に、機械関連の製品は全く入っていない(ジェトロ中国北アジア課編)。

 このことが意味するのは、私がその存在の重要性を強調してやまない機械工業の基盤産業がソ連崩壊後に消滅したと考えられることである。ソ連時代は、国際競争力はなくとも、東側諸国の工業製品生産国として、機械工業の基盤産業も存在していたと思われる。それがなければ、曲がりなりも国産部品だけで乗用車を量産することは不可能である。国際競争力が全くないとしても、機械製品を部品から国産化することは不可能である。私の記憶に残っている一例を挙げれば、私の大学院生時代、1970年代に旧ソ連を旅行した院生仲間が、買ってきて見せてくれたソ連製の腕時計を挙げることができる。確かにそれは腕時計であり、当時の円換算で見ても、極めて安い時計であったが、動くことは動き、時を刻んでいた。しかし、当時の日本ではクォーツが導入され、時計は時間が狂わないことが当たり前になりつつあったが、その腕時計は、毎日時間を合わせないと、決まった電車に乗るためには使えない代物であった。しかし、動くことは動いたのである。毎日時間を合わせれば、なんとか決まった電車に乗るためにも使えた。

 当時のソ連では、スプートニクを打ち上げることができ、核弾頭付きの大陸間弾道弾を数多く保有できただけではなく、耐久消費財としての機械製品も、国内で部材から生産できた。繰り返すが、先の腕時計とかソ連崩壊時のラーダといった乗用車生産の産業の存在で象徴されるように、全く国際競争力はない量産機械ではあったが、純ソ連産の量産機械も生産可能であった。

 その旧ソ連の中核部分を引き継いだロシア、そこでの輸出製品が、ほぼ天然資源とその一次加工品に限られ、機械製品は、対中国でも量産耐久消費財としての機械どころか、資本財としての機械についても、全く10位以内の輸出品目に入っていないのである。それに対して、先にも指摘したように、中国の対ロシア輸出の第1位製品は、スマートフォンを中心とした量産電子機器としての電話である。もちろん、その部材、ましてや生産のための資本財全てを中国国内で生産しているわけではないが、完成品としての電話が中国からの輸出品の10%近くを占めているのである。ロシア国内で、中国で少し前までやっていたように、また今インドで本格化しているように、部材を海外から調達して組み立てる、ということでもないようである。

 藤原克美氏の研究によれば、工業製品を海外に依存するのは、機械製品に限定されず、繊維製品においても、アパレル関係の布地生産や、そして紡織機械生産についても、かつてのソ連時代には国内に存在し、自給していたが、ソ連崩壊後、ほとんどその存在が消え、一部のアパレル用以外のカーテン等のための布地の生産が残っているのみであるとのことである。また、かつては存在した紡織関連の機械の国内生産もほぼ消滅したとのことである(藤原克美、2012年)。

 豊かな天然資源依存の国、たとえば、オーストラリアでも、かつては乗用車の組立工場が外資系企業の直接投資の形、幾つもオーストラリア国内に存在していた。しかし、完成車輸送コストの低下と生産拠点の集中による規模の経済性のより一層の進展から、外資系乗用車組立工場の撤退が一斉に生じ、今やオーストラリアで組立てられる量産乗用車は存在しない状況となっている。

これと似たような状況が、天然資源はオーストラリア同様に豊富だが、オーストラリアほど一人当たりGDPが高くないロシアでも生じているといえる。豊かな天然資源で国民生活を支え、工業製品については資本財から耐久消費財、そして日用品等の非耐久消費財まで、高級品は欧州依存、中低級品は中国やトルコ依存となっている。自国系企業が生産する国内工業生産品の多くは、低級品市場を含め、少なくとも海外で販売できるような競争力を持つものではなくなっているし、国内供給者としての存在すら怪しくなっている。工業製品として国際競争力を持つものとして残っているのは、旧ソ連時代から、性能としては一流のはずの軍需用製品だけということになる。

 さらに、一流のはずの軍需用製品であるが、ウクライナ侵略を通して伝えられる軍が使用する通信機器の水準は、傍受可能な製品を軍需用に使用しているといった水準にあるとのことである。軍用の一部すら、輸入民需製品に置き換わっていることが推測される。

 今回のウクライナ侵攻で、米欧諸国からの最新機器やそれらの生産のための部材の輸入が困難になっている。このことが長期に続けば、かつてのソ連圏の工業のように、海外との競争から守られた市場を、少なくとも旧ソ連圏内のいくつかの国を含めた市場を対象に国際競争力はないが、その市場内では供給できる工業企業群が再生するかもしれない。ただし、そのためには、中国そしてトルコやインドからの輸入が途絶する必要があろう。これらが途絶せず輸入可能である限り、旧ソ連圏のような市場の孤立は生ぜず、中低価格品では圧倒的な国際競争力を持つ中国等の後発工業化国からの輸入品にロシア市場は席巻されることとなろう。ただ、その限りでは、軍需品の遅れている部分を、スマホ輸入のように輸入製品や部材の活用で、ある程度克服できるかもしれない。

 

 プーチン大統領にとって、ゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を擁立するためにウクライナ侵略することは、それゆえ、短期に政権打倒を実現することが絶対条件であった筈である。それによって、ロシア国民の生活に大きく影響するような事態を避けることが、不可欠だった筈である。

 しかし、今や1ヶ月以上経過し、首都キーウ陥落は諦めざるを得ない状況にある。ゼレンスキー政権のウクライナ内での存立基盤は、一層固まり、傀儡政権擁立どころではない。東部の2州とクリミア半島への陸路を占領したとしても、そのことは、ロシア国内向けのプーチン大統領のポーズにとっては意味があるとしても、原油天然ガスの輸出販売市場としての欧州の確保や欧州からの中高級消費財の輸入の本格的な再開にはつながりそうもない。欧州製品については「欲しがりません。勝つまでは」といつまでロシア国民は我慢するのであろうか。我慢できるのであろうか。

 原油や天然ガスの欧日からの需要は低水準にとどまり、ジリ貧となろう。それを中国やインドからの需要が全面的にカバーできるとは思えない。今、原油価格が高騰しているから見えていないが、原油価格水準が落ち着きを取り戻したら、どうなるのであろうか。原油や天然ガスについては、量的な充足が問題である。代替エネルギーを含め、多少高くてもエネルギーとして量的に確保できれば、ロシア産にこだわる理由は全くない。しかし、米欧日の資本財は、量ではなく、代替不能な製品群を多く含む。先端半導体のように、あるいはそれを生産するためのASMLの露光装置のように、これらがなければ、先端兵器を含めた機械工業製品をこれから作っていくための基本的な資本財に欠けることとなる。

 

 ここまで見てきて最も感じたことは、旧ソ連解体時の新古典派経済学者の提言が、見事に生かされたのが今のロシアである、ということができそうだということである。当時のグローバル経済を前提に、旧ソ連での比較優位産業をみれば、それは天然資源を採掘し一次加工程度を行い販売することである。つまり、世界市場に開かれた形での比較優位を追求した結果、素直に比較優位産業である資源販売を核とする産業構造にシフトして、それなりに豊かになったといえる。同時に、それは比較劣位であった機械工業等を含め市場に委ねた工業製品分野は全て放棄する方向、一般市場で取引される工業製品の生産を放棄する方向である。まさに、その方向での徹底的な経済構造・産業構造のシフトが実現したのが、今のロシアであろう。

 比較優位を追求した結果と資源賦存の状況から、依然として巨大な天然資源供給国であり続けられたことで、世界経済の中で一定の位置を占め、強国としてのロシア、巨大な軍需生産と軍事力をもつ国家として再生産可能となった。軍備に関する部分は市場の競争に委ねなかったがゆえに、新古典派的世界に開放しなかったがゆえに、工業生産全般が解体しても、それなりに当面、少なくとも30年間ほどは完成品生産能力としては残った。旧ソ連解体30年後の今、部材生産がどこまでできているかは不明だが。

つまり、軍機の完成品生産は、中央政府が天然資源で得た資金を、直接その維持再生産のために注ぎ込んでいるがゆえに存在しえている。同時に、今、ロシア系企業として半導体生産で残っているのは、技術的に大きく遅れた軍需依存の企業数社だけだということも報じられている。これらのことは、まさに市場からほぼ完全に遮断した時に生じることと、グローバルな市場競争に素直に委ねた時に何が生じることとの双方を示唆している。

 

 勝手に、色々、中小企業を中心とした産業論の元研究者として、ロシアの工業に関して、思いつくことをそのまま書いてきた。ここで考えたいことは、産業論の視点から見た場合、電撃的な侵略で、一挙に既存政権を打倒し、傀儡政権を短期間に擁立し、ロシアの勢力圏としてのウクライナを作り出す以外に、今回のウクライナ侵略が、プーチン大統領なりに意味を持つものとなりうる可能性はあるのか、そのための検討でもある。

産業論的視点から見た現況は、ウクライナの産業にとって、大規模な物理的な破壊が行われており、これほどの悲劇的なことはないといえる。同時に、ロシアの工業基盤の状況から見れば、ロシア経済にとっても、侵略による戦争状況が、長期化すればするほど、天然資源依存の国民経済とその下でのロシア国民の生活を維持することは、困難になるといえる。それを少しでも緩和しているのが、中国からの工業製品輸入であり、トルコやインドからの工業製品輸入であると言えよう。これがなければ、ロシアの一般市民の生活は、まともな新品の衣服さえ手に入らない状況に一気になろう。侵略戦争をプーチンの顔が立つように終えられるまで、プーチンを圧倒的に支持するロシア国民は、「(欧米製品については)欲しがりません。勝つまでは」すなわち「勝つまでは(中国製やトルコ製で)我慢、我慢」ということになる。このような国民に大きな犠牲を生じる状況は、いつまで持つのであろうか。ロシア国民のプーチン大統領支持が一挙に縮小するのは、結構間近ではないのか。同時に、当面は、工業製品の主要供給国としての中国そしてインドやトルコの対ロシア姿勢が、プーチン政権の生命線となる、ということでもある。

 

参考文献

Global Note「世界の1人当たり購買力平価GDP 国別ランキング・推移(世銀」( https://www.globalnote.jp/post-3389.html  202234日閲覧)

経済産業省編『通商白書2018年版』(https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2018/2018honbun/i1250000.html、 

202244日閲覧)

中国北アジア課『2021年の中ロ貿易、輸出入とも3割超の伸び、中国はエネルギー禁輸への反対表明 』(ジェトロ2022317日、https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/03/af99a5fab099f762.html  202244日閲覧)

藤原克美『移行期ロシアの繊維産業–ソビエト軽工業の崩壊と再編』(2012年、春風社)

 

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