2022年4月28日木曜日

4月28日 ロシア工業の今をどう考えるべきか

ロシア工業の今をどう考えるべきか

ロシア工業についての興味深い論文とレポートを読んで


田畑伸一郎「ロシア経済の強さと弱さ」

(『比較経済研究』671号、20201月、2739ページ)

日本貿易振興機構海外調査部サンクトペテロブルグ事務所編

     『ロシア工作機械市場概況』JETRO2021

                                   渡辺幸男

 

はじめに

 ロシアのウクライナ侵略を契機に、改めてロシアの工業を中心とした産業発展について考えてみたくなり、ネットで探していたら、ここ数年の論考として、2つの興味深い作品に巡り合えた。

 1つは北海道大学の田畑伸一郎氏の論文であり、いまひとつはジェトロが調査委託をして作成したロシアの工作機械についての市場概況報告である。田畑氏の論文は、ロシアの近年の工業動向を、ロシアに豊富に存在し、巨大な輸出をおこなっている天然資源価格の高騰による「オランダ病」により、ロシアの工業が衰退している、という主張をしている。もう一方のジェトロの報告書は、ロシアの工作機械工業の近年の輸出入状況を概観し、具体的な数字でそれを示すと共に、ロシア政府の工作機械工業振興策に触れている。

 私はロシアの工業、旧ソ連の解体から進行した工業の展開を「非工業化」と括っているが、田畑氏はロシアの工業の後退は「オランダ病」ゆえに生じているものであると主張されている。そして、ジェトロの報告書は、その状況を考える上で有効と思われる点、まさに工業の中核的部分の1つで、旧ソ連解体後のロシア工業で何が生じたのか、ある意味で象徴的な数字を提示し、そのために今ロシアが採用している政策を簡単に紹介している。

 それゆえ、以下では、まずは田畑氏の主張を紹介し、それについての私の疑問等を提示したい。その上で、私の主張を裏付けると私が考えるジェトロのレポートの関連する部分を紹介し、ロシアの工業発展についての皆さんの理解のための問題提起としたい。

 

1 田畑氏の論文の私なりのまとめ

田畑氏の論文の目次を紹介すれば、以下のようになる。

要旨

1 はじめに

2 ロシア経済の強さ

2.1 豊富な資源

2.2 石油・ガスのレントを中央に確保する財政制度

2.3 地域との関係における強固な中央集権制度

3 ロシア経済の弱さ

3.1 オランダ病による製造業の不振

3.2 低い投資率

3.3 不十分な対外開放

4 強さと弱さの根源

5 弱さの克服策と今後の展望

注と参考文献

 

 まずは、田畑論文の最初に示されている「要旨」をそのまま紹介する。それは、「ロシア経済の発展を考えるために、その強さと弱さを考察した。強さとしては、豊富な資源、石油・ガスのレントを中央が確保する財政制度、地域との関係における強固な中央集権制度の3点、弱さとしては、オランダ病による製造業の不振、低い投資率、不十分な対外経済開放の3点を指摘した。強さも弱さも豊富な資源に起因するというものであることから、近い将来の成長率を3%以上にまで引き上げるのはなかなか難しいという結論を述べた」(田畑論文、27ページ)とされている。

 田畑論文でのロシア工業不振についての理解の中核は、著者自身が「油価の上昇がなくなれば、ルーブルの増価も無くなるので、自然に輸入代替の方向に進むはずだという議論をこれまで展開」してきたとし、「ルーブル高の下ではオランダ病が、そうでなければ輸入代替が進むというのは、極めて単純な話であるが、間違っていないと思われる」(田畑論文、36ページ)と述べていることにある。

 このような理解を通して、ロシアが旧ソ連から引き継いだ工業基盤が、まだ生きており、為替レートの変動を通して軍需産業以外の工業諸部門の再活性化も可能であるというのが、田畑氏の理解であることが表現されている。田畑論文の結論としては、「こうしてみると、ロシア経済は、石油・ガスを基礎に年平均12%程度の成長を続けることはできるとしても、政策が目標とするような3%程度の成長軌道に乗せるのは容易ではないと考えられる。」(田畑論文、37ページ)とされている。田畑氏の論理だと、油価が低下し、その結果として工業部門の輸出競争力が回復すれば、工業部門の生産そして輸出の拡大、工業部門の投資拡大となり、経済の本格的成長となってもおかしくないと思うが、その点では慎重な結論となっている。

 いずれにしても、田畑氏の理解は、工業部門の再活性化は、為替レート次第であり、為替レートがルーブル安に振れれば、問題なくその再活性化は進展するという、ロシア工業の現状について極めて楽観的な結論を、マクロの数字の紹介を通して、導いている。ただし、そのことでロシア経済のGDP成長率が大きく高まるとみているわけではないようである。再工業化と高度成長の両立は想定されていない。

 

2 田畑論文を読んでの勝手な感想

 田畑論文を読んで、何よりも感じたことは、まずは、ロシア経済、とくにその工業を中心とした産業発展についての問題点を見る上での田畑氏の視点の妥当性についての疑問である。田畑氏にとっては、輸出入構成や固定資本形成等のマクロの数字、あるいは大産業分類レベルでの産業動向についての検討で、ロシアの産業発展の今後を考察するための事実確認事項の議論としては十分であると、認識されているようである。これで良いのか、というのが正直な感想である。個別産業、主導産業等での投資や競争、その結果としての特定産業部門の企業の国際競争力形成の可能性とそれに至る経路等については、ほとんど、というか全く検討することなく、ロシア経済を「オランダ病」と診断できる、と考えられている。それゆえ、この結論としての「オランダ病」についても、その診断に疑問を持たざるを得なかった。

 ロシアの産業発展、特に国内工業そしてロシア系工業企業の発展の停滞問題は、そのような問題なのであろうか。工業部門の国際競争力の問題は、投資の総量の問題なのではなく、軍需産業以外の工業分野の工業製品の市場競争力が、海外市場向けだけではなく、国内市場向けでもほとんどない(ないしは、無かった)ということにあるのではないか、と私は理解している。為替レートが問題なのであれば、ある意味、天然資源の輸出が抑制されるかその価格が低下し、為替レートが低下傾向になることが見込まれるウクライナ侵略後の状況は、ロシア国内工業、それも自国系企業によるそれが再生、拡大するという展望を持ち得よう。しかし、少々の為替レートの低下では、中国やトルコといった国からの安価な財の輸入は止まらないであろう。国内で生産するより、より安くより良いものが輸入可能な状況は、中国やトルコといった諸国からの財の輸入が、為替水準以外の人為的要因で抑制されない限り、止まりようがない。

改めて、そのよってきたる原因の究明こそ重要であると考えている。が、そのようなことについての検討は、少なくともこの田畑論文には全くない。軍需製品については、旧ソ連からの伝統である近代兵器での優位性を、ロシア政府の優先的購入維持と、政府間輸出入によりそれなりに保持し続けているといえる。しかし、民需向け工業製品については、乗用車といった量産機械や半導体といった先端製品どころか、アパレル製品等の日用消費財も含め、そしてそれらの部材生産をも含め、かつて存在したはずの(国際競争力を持っていたかは別として)ロシア国内製造企業群は、ほぼ消滅しているように見える。例え、存在したとしても、国内市場での競争力をどの分野でどの程度維持しているのかも疑問であるといえる状態である。あるいは、エンジンを海外企業から購買し、生き残っている航空機製造企業のように、完成品組立企業としては残っているとしても、部材についてはほぼ輸入に依存しているような形で、換骨奪胎されているような企業が多いのではないかと想像される。一旦、事業体や主要生産部分が消滅し、そこでの経験のある技術者や労働者が老齢化あるいは海外に転出してしまえば、かつて存在したそれぞれの産業も、技術者そして熟練労働者の育成を含め、1から構築を始める必要が生まれる。為替レートの多少の変動では、これらの工業活動が再活性化することは考えられない。

 このように具体的な産業状況を踏まえず、マクロの輸出入状況や投資状況等だけを念頭に、課題を提起しても、そこで提起可能なものは、固定資本形成を高めるべきとか、輸入代替部門を強化すべきとかいったお題目に終始する可能性が高い。具体的な産業実態、担い手と競争状況、企業と人材の存在状況等を具体的に踏まえての工業発展、輸入代替化シナリオを描くことはできないと、私には思われる。

 

3 ジェトロレポートによるロシア工作機械生産と輸出入状況

 かつて実態調査を踏まえ、統計的事実も念頭におきながらも、実態調査から示唆された工業発展の論理を、日本の高度成長期とそれ以降そして中国の改革開放後について見てきた元産業論研究者としては、現在のロシアの工業諸部門、軍需産業部門も含め、そこでの競争と投資の具体的姿をぜひみることにより、私のいうロシアの「非工業化」が実際に進行しているのかどうか、それとも「オランダ病」として理解可能であり、為替レート次第で再発展する工業が依然ロシアには存在しており、私の理解は間違っているのか、確認したいところである。しかし、知的体力の顕著な弱化と調査環境の悪化の双方で、今の私には、このようなロシアでの実態調査は不可能となっている。

 同時に、邦文でのロシア経済研究は、上記の田畑氏の研究をはじめ、多く出版されているが、ロシア工業の実態、軍需産業を含め、その実態から工業の発展展望をおこなっている、あるいは調査報告をしているものは、ほとんどない。藤原克美氏のロシア繊維産業の研究が、私が接した唯一に近い、実態調査研究を踏まえたロシア産業についての著作といえる。なぜ、日本のロシア経済研究者は、ロシアの工業発展の論理を、その実態にまで踏み込んで議論しようとしないのであろうか。それともかつての中国のように、実態に踏み込むことは、日本の研究者には許されていないのであろうか。

 このような欲求不満に陥った元産業論研究者が、たまたま見つけることができたのが、ジェトロのレポート『ロシア工作機械市場概況』(2021年)である。ロシアの工業の中核の1つを占めているといえるロシア工作機械工業の現状についてのレポートである。

 本レポートで私がまず注目したのは、ロシア国内での金属切削加工機械生産台数と輸入台数の開きである。本レポートの「図2 ロシア国内における金属切削加工機械の生産台数」によれば、2020年には国内生産台数は4,331台であり、ここ数年4,000台前半を行き来する状況である(ジェトロレポート、6ページ)。他方で、同年の海外からのロシアへの金属切削加工機械の輸入台数は、68万台余であり、これまたここ数年での大きな変動はない(ジェトロレポート、7ページ)。この状況について、本レポートでは「品質の低さから国内生産品へのニーズが急増することは考えにくく」(ジェトロレポート、6ページ)と述べている。(ここでいう「金属切削加工機械」がどのような範囲の機械を指しているのか、本レポートを見る限りでは、よく分からない。近年ではホビー用の旋盤等も多く存在しており、本格的な金属加工用の切削機械なのかどうかは不明である。注意をしてこの図を見るべきだとは感じているが、いずれにしても、その数字の乖離はあまりにも大きい)

 ロシア国内生産台数は4千台強、輸入台数は68万台、台数比では国内生産は輸入の1%以下ということになる。しかも、市場環境が変わっても品質ゆえに国内生産品への需要が増えることは考えにくいと、レポート自体は結論づけている。機械工業の要の1つである金属切削加工機械1つとっても、ロシア国内生産はごくマイナーであり、品質面で輸入品と競合できるものではないとの指摘が、本レポートの指摘の中核部分といえよう。もちろん、国内生産台数には、外資系企業のロシア国内生産であり、たとえ単なる組立だけ国内で行っていても、統計的に国内生産に含まれることになるであろう。そうであるにもかかわらず、68万台と4000台の開きがあるのである。

たとえ、輸入が途絶したとしても、毎年輸入していた60万台余を実績として1万台も達していない国内生産で補うことは、質量共に、一朝一夕では不可能であることは、火を見るよりも明らかである。なぜ、このような状況を「オランダ病」ということができるのであろうか。工作機械、この場合は金属切削加工機械に限定されてはいるが、そのほぼ全面的な対外依存への移行は、「非工業化」そのものといえよう。

 同時に、ロシア政府そのものは、この問題の存在と重要性に気がついていて、2017年には国内工作機械工業の復活を目的とした助成金政策を実施しているとのことである(ジェトロレポート、11ページ)。ただし、その目標年次は2030年であり、10年以上の期間をかけての復活への施策であり、為替レートが変われば復活するような状況ではないことを、ロシア政府自体が自覚しているということであろう。なお同レポートによれば、旧ソ連末期のソ連製工作機械の国内シェアは94%であったという識者(1)もいるとのことである。

 30年間で、ロシア国内に設置された工作機械の多くが外国製になり、とくに新規投資される工作機械の圧倒的部分が輸入製品となった。その状況を多少なりとも方向転換させることを目指す政策が、すくなくとも10年以上をかけることを目処に目指されている、ということであろう。国内需要に応えていた自国系企業の国内工作機械産業が消滅し、それを再生するために10年以上の月日が必要と、ロシア政府自身が自覚しているのである。実際のところ、このような助成金政策で復活可能だとは、私には思えないが。

 ロシア国内企業が、ロシア国内で外国製品そして外資系企業が参入困難あるいは参入意欲を持たないような独自な市場を見出し、それをめぐって国内企業間の激しい競争が行われるような市場分野、そのような分野を開拓し、そこでの先端化を軸に、他の分野へのその波及で国際競争力を実現する。こんなシナリオが描ければ、10年単位での展望は生じるかもしれないが。このような内発的発展は、中国の改革開放後に生じたことと、私は理解している(渡辺、2016年、参照)。

 

4 まとめ

 ジェトロレポートがロシア工作機械産業の現状をほぼ正確に反映したものであれば、少なくとも、旧ソ連時代に国内需要のほとんどを充足していたロシアの工作機械産業は、実質的に消滅し、ロシア国内工作機械需要のほとんどは輸入工作機械によって充足されているということができよう。他方で、工作機械を使用する加工業企業はロシア国内に存在していることを、このことは意味している。工作機械需要がロシア国内にあること、その需要者がロシア系企業か外資系企業かは分からないが、そのことは事実であろう。それゆえ、輸入工作機械を使用した工業活動がロシア国内で行われているということは言えそうである。

 ロシア経済には、私が理解するように「非工業化」したとしても、すべての工業活動が海外化し、全ての工業完成品を輸入しているのではなく、金属関連の工業製品についても、ロシア国内での加工を一定行う企業層が存在する、ということを示しているであろう。ロシア経済は、天然資源に恵まれ、通常であれば外貨獲得能力に恵まれ、購買力平価での一人当たりGDP水準で見て日本の3分の2ほどの1億4千万人の人口がいる市場を持っているのであるから、その需要に向け、市場近接生産が有効な分野が多く存在するということであろう。立地的に市場近接が必要とされるような工業生産についてはロシア国内で生産がなされる。しかし、それ以外の市場近接を必要としないような工業製品、特に質的差異が大きく生産性や品質に関わるような工作機械等については、最も品質の高い工業製品を生産する経済地域の企業からほとんどを輸入する、ということが生じているのであろう。

天然資源が豊かで外貨獲得能力があり、一人当たりGDPは先進工業国並みであるが人口25百万人ほどのオーストラリアでの乗用車産業の消滅が、大変示唆的である。この豊かなしかし人口規模としては乗用車生産の川上から川下までの規模の経済性を実現するには不十分な市場であったオーストラリアでは、かつては組立だけは市場近接で行う十分な大きさがあったゆえに、その部分のみであるがオーストラリア立地が各完成乗用車メーカーにより希求された。しかし、完成車輸送コストが低下したことで、より生産性の高い地域で集中生産をし、規模の経済性を追求することが有効な生産立地となり、オーストラリア経済の豊かさそのものは全く変わらないのに、オーストラリアでの外資系企業の完成車組立工場、これが全ての組立工場であったが、それらは消滅した。

この例が、ここでも思い出される。オーストラリアと同様に天然資源と第一次産業に恵まれたロシアは、比較優位の原則に従い、市場近接が重視されず質的差異が大きな工業製品の生産についてはロシア国外に立地し、そこからの輸入に依存する体制が、外資系企業によって構築される。これが、ロシア経済の「非工業化」の進行といえる。その象徴的に表現するものが工作機械産業と言えるであろう。

繰り返すが、ロシアの工業は「オランダ病」に陥っているのではなく、ロシアの工業では、旧ソ連解体後、旧ソ連が保有していた川上から川下までの国内完結型の工業生産体系の「非工業化」が進展しているのである。現在世界の先端を言っているかのように見えるロシアの宇宙航空産業および軍需産業も、それらをかつては支えていたロシア国内の工業基盤については、まさに字義通りの「空洞化」が顕著に進行した、否、今も進行していると言えそうである。

 

(1) ジェトロレーポートによれば、「ソビエト時代末期である1980年代、工作機械の生産はソ連にとって重要な産業であった。ソ連工作機械・工具省は238もの鋳造工場と30以上もの研究・設計施設を有していた。ソ連製品の国内シェアは94%であったという識者もいる。しかしソ連崩壊によって、・・・工作機械の本土のユーザーは高品質な外国産の工作機械へ乗り換え、上記の通り輸入に依存する構造に変化。その構造が今日まで続いている」(ジェトロレポート、12ページ)ということである。

 

参考文献

田畑伸一郎「ロシア経済の強さと弱さ」

                 『比較経済研究』671号、20201月、2739ページ

日本貿易振興機構海外調査部サンクトペテロブルグ事務所編

『ロシア工作機械市場概況』JETRO2021

藤原克美『移行期ロシアの繊維産業–ソビエト軽工業の崩壊と再編』    春風社、2012

渡辺幸男『現代中国産業発展の研究 製造業実態調査から得た発展論理』

                            慶應義塾大学出版会、2016 

2022年4月12日火曜日

4月12日 ロシアのウクライナ侵略戦争と元産業論研究者

 ロシアのウクライナ侵略に関連して 

ロシアの産業と侵略の展望

渡辺幸男


 以下は  、元産業論研究者の視点から、今のロシアの産業状況と、今回のウクライナ侵略戦争、その長期化の持つ意味について、戦争開始後1月半の時点で、考えてみたことを、文章化したものである。


 旧ソ連の中心であり、旧ソ連崩壊後も1億人以上の人口を維持しているロシアは、ソ連時代の工業基盤の多くを引き継いでいる筈の国でもある。そのロシアがウクライナを侵略し、ウクライナの現政権を打倒し、傀儡政権を擁立しようと、全面戦争を仕掛けた。そのようなロシアの工業、世界最大の核保有国であり、最新兵器を多数持ち、宇宙開発でも先頭を走るロシア、しかし、その工業基盤は、旧ソ連以来の弱点を克服できないまま、今に至っている。それを端的に表現するのが、ロシアの輸出入構造である。

 先端兵器を生産できる工業力を持つ経済でありながら、その輸出入構造は、全く工業国の体を成していない。ロシアの輸出入構造を改めて見ると、天然資源とその一次加工品をもっぱら輸出し、完成品としての工業製品、資本財として、耐久消費財として、そして日用品としての工業完成品について、もっぱら輸入しているということが明白となる(通商産業省編『通商白書2018年版』)。それも一方で先進工業国を多く含むドイツ等の欧州との取引でそのような関係にあるだけではなく、後発工業化国である中国との輸出入関係でも、天然資源と一次加工品を輸出し、電話機を中心とした機械工業製品をはじめ、多様な工業製品をもっぱら輸入している(ジェトロ中国北アジア課編)。

 輸出入構造だけを見ると、工業国とは全く見て取れない状況である。豊かな天然資源をもとに、購買力平価で見た一人当たりGDPは、中国を上回っているが、先進工業国やオーストラリアといった一次産品輸出主体の高所得国とは比べ物にならない低い水準である。2020年には、米国63,414ドル、ドイツ54,264ドル、オーストラリア52,397ドル、イギリス45,853ドル、日本41,733ドル、ロシア28,213ドル、中国17,204ドル(Global Note202234日閲覧)となっている。中国より大きいが、米国の半分以下であるし、人口規模がかなり近い日本と比較しても、その3分の2強の水準といったところである。国民全体が、豊かな天然資源の輸出を通して、オーストラリア等と並ぶような先進工業国並みの豊かな生活水準を実現しているわけでもない。

 しかも、ロシアの輸出入を見てみると、基本的に一次産品ないしはその一次加工品を輸出し、工業製品を輸入していることは、対世界でも、対中国と同様である。この国が、工業製品でもある核ミサイルの保有台数では世界一であり、それらは自国産のミサイルでもある。「先端」的な軍備品の保有高では世界一であり、それらについて国内工業基盤を利用して生産してきたはずである。しかし、携帯電話ないしはスマートフォンについては量産できないらしく、中国からの輸入品の第1位が電話機輸入で、53億ドル余りになり、ロシアの電話機輸入の71%を中国製が占めていることとなっている。中国に原油や天然ガスを売り、中国からスマホを輸入しているのである。ロシアから中国への輸出の上位10品目に、機械関連の製品は全く入っていない(ジェトロ中国北アジア課編)。

 このことが意味するのは、私がその存在の重要性を強調してやまない機械工業の基盤産業がソ連崩壊後に消滅したと考えられることである。ソ連時代は、国際競争力はなくとも、東側諸国の工業製品生産国として、機械工業の基盤産業も存在していたと思われる。それがなければ、曲がりなりも国産部品だけで乗用車を量産することは不可能である。国際競争力が全くないとしても、機械製品を部品から国産化することは不可能である。私の記憶に残っている一例を挙げれば、私の大学院生時代、1970年代に旧ソ連を旅行した院生仲間が、買ってきて見せてくれたソ連製の腕時計を挙げることができる。確かにそれは腕時計であり、当時の円換算で見ても、極めて安い時計であったが、動くことは動き、時を刻んでいた。しかし、当時の日本ではクォーツが導入され、時計は時間が狂わないことが当たり前になりつつあったが、その腕時計は、毎日時間を合わせないと、決まった電車に乗るためには使えない代物であった。しかし、動くことは動いたのである。毎日時間を合わせれば、なんとか決まった電車に乗るためにも使えた。

 当時のソ連では、スプートニクを打ち上げることができ、核弾頭付きの大陸間弾道弾を数多く保有できただけではなく、耐久消費財としての機械製品も、国内で部材から生産できた。繰り返すが、先の腕時計とかソ連崩壊時のラーダといった乗用車生産の産業の存在で象徴されるように、全く国際競争力はない量産機械ではあったが、純ソ連産の量産機械も生産可能であった。

 その旧ソ連の中核部分を引き継いだロシア、そこでの輸出製品が、ほぼ天然資源とその一次加工品に限られ、機械製品は、対中国でも量産耐久消費財としての機械どころか、資本財としての機械についても、全く10位以内の輸出品目に入っていないのである。それに対して、先にも指摘したように、中国の対ロシア輸出の第1位製品は、スマートフォンを中心とした量産電子機器としての電話である。もちろん、その部材、ましてや生産のための資本財全てを中国国内で生産しているわけではないが、完成品としての電話が中国からの輸出品の10%近くを占めているのである。ロシア国内で、中国で少し前までやっていたように、また今インドで本格化しているように、部材を海外から調達して組み立てる、ということでもないようである。

 藤原克美氏の研究によれば、工業製品を海外に依存するのは、機械製品に限定されず、繊維製品においても、アパレル関係の布地生産や、そして紡織機械生産についても、かつてのソ連時代には国内に存在し、自給していたが、ソ連崩壊後、ほとんどその存在が消え、一部のアパレル用以外のカーテン等のための布地の生産が残っているのみであるとのことである。また、かつては存在した紡織関連の機械の国内生産もほぼ消滅したとのことである(藤原克美、2012年)。

 豊かな天然資源依存の国、たとえば、オーストラリアでも、かつては乗用車の組立工場が外資系企業の直接投資の形、幾つもオーストラリア国内に存在していた。しかし、完成車輸送コストの低下と生産拠点の集中による規模の経済性のより一層の進展から、外資系乗用車組立工場の撤退が一斉に生じ、今やオーストラリアで組立てられる量産乗用車は存在しない状況となっている。

これと似たような状況が、天然資源はオーストラリア同様に豊富だが、オーストラリアほど一人当たりGDPが高くないロシアでも生じているといえる。豊かな天然資源で国民生活を支え、工業製品については資本財から耐久消費財、そして日用品等の非耐久消費財まで、高級品は欧州依存、中低級品は中国やトルコ依存となっている。自国系企業が生産する国内工業生産品の多くは、低級品市場を含め、少なくとも海外で販売できるような競争力を持つものではなくなっているし、国内供給者としての存在すら怪しくなっている。工業製品として国際競争力を持つものとして残っているのは、旧ソ連時代から、性能としては一流のはずの軍需用製品だけということになる。

 さらに、一流のはずの軍需用製品であるが、ウクライナ侵略を通して伝えられる軍が使用する通信機器の水準は、傍受可能な製品を軍需用に使用しているといった水準にあるとのことである。軍用の一部すら、輸入民需製品に置き換わっていることが推測される。

 今回のウクライナ侵攻で、米欧諸国からの最新機器やそれらの生産のための部材の輸入が困難になっている。このことが長期に続けば、かつてのソ連圏の工業のように、海外との競争から守られた市場を、少なくとも旧ソ連圏内のいくつかの国を含めた市場を対象に国際競争力はないが、その市場内では供給できる工業企業群が再生するかもしれない。ただし、そのためには、中国そしてトルコやインドからの輸入が途絶する必要があろう。これらが途絶せず輸入可能である限り、旧ソ連圏のような市場の孤立は生ぜず、中低価格品では圧倒的な国際競争力を持つ中国等の後発工業化国からの輸入品にロシア市場は席巻されることとなろう。ただ、その限りでは、軍需品の遅れている部分を、スマホ輸入のように輸入製品や部材の活用で、ある程度克服できるかもしれない。

 

 プーチン大統領にとって、ゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を擁立するためにウクライナ侵略することは、それゆえ、短期に政権打倒を実現することが絶対条件であった筈である。それによって、ロシア国民の生活に大きく影響するような事態を避けることが、不可欠だった筈である。

 しかし、今や1ヶ月以上経過し、首都キーウ陥落は諦めざるを得ない状況にある。ゼレンスキー政権のウクライナ内での存立基盤は、一層固まり、傀儡政権擁立どころではない。東部の2州とクリミア半島への陸路を占領したとしても、そのことは、ロシア国内向けのプーチン大統領のポーズにとっては意味があるとしても、原油天然ガスの輸出販売市場としての欧州の確保や欧州からの中高級消費財の輸入の本格的な再開にはつながりそうもない。欧州製品については「欲しがりません。勝つまでは」といつまでロシア国民は我慢するのであろうか。我慢できるのであろうか。

 原油や天然ガスの欧日からの需要は低水準にとどまり、ジリ貧となろう。それを中国やインドからの需要が全面的にカバーできるとは思えない。今、原油価格が高騰しているから見えていないが、原油価格水準が落ち着きを取り戻したら、どうなるのであろうか。原油や天然ガスについては、量的な充足が問題である。代替エネルギーを含め、多少高くてもエネルギーとして量的に確保できれば、ロシア産にこだわる理由は全くない。しかし、米欧日の資本財は、量ではなく、代替不能な製品群を多く含む。先端半導体のように、あるいはそれを生産するためのASMLの露光装置のように、これらがなければ、先端兵器を含めた機械工業製品をこれから作っていくための基本的な資本財に欠けることとなる。

 

 ここまで見てきて最も感じたことは、旧ソ連解体時の新古典派経済学者の提言が、見事に生かされたのが今のロシアである、ということができそうだということである。当時のグローバル経済を前提に、旧ソ連での比較優位産業をみれば、それは天然資源を採掘し一次加工程度を行い販売することである。つまり、世界市場に開かれた形での比較優位を追求した結果、素直に比較優位産業である資源販売を核とする産業構造にシフトして、それなりに豊かになったといえる。同時に、それは比較劣位であった機械工業等を含め市場に委ねた工業製品分野は全て放棄する方向、一般市場で取引される工業製品の生産を放棄する方向である。まさに、その方向での徹底的な経済構造・産業構造のシフトが実現したのが、今のロシアであろう。

 比較優位を追求した結果と資源賦存の状況から、依然として巨大な天然資源供給国であり続けられたことで、世界経済の中で一定の位置を占め、強国としてのロシア、巨大な軍需生産と軍事力をもつ国家として再生産可能となった。軍備に関する部分は市場の競争に委ねなかったがゆえに、新古典派的世界に開放しなかったがゆえに、工業生産全般が解体しても、それなりに当面、少なくとも30年間ほどは完成品生産能力としては残った。旧ソ連解体30年後の今、部材生産がどこまでできているかは不明だが。

つまり、軍機の完成品生産は、中央政府が天然資源で得た資金を、直接その維持再生産のために注ぎ込んでいるがゆえに存在しえている。同時に、今、ロシア系企業として半導体生産で残っているのは、技術的に大きく遅れた軍需依存の企業数社だけだということも報じられている。これらのことは、まさに市場からほぼ完全に遮断した時に生じることと、グローバルな市場競争に素直に委ねた時に何が生じることとの双方を示唆している。

 

 勝手に、色々、中小企業を中心とした産業論の元研究者として、ロシアの工業に関して、思いつくことをそのまま書いてきた。ここで考えたいことは、産業論の視点から見た場合、電撃的な侵略で、一挙に既存政権を打倒し、傀儡政権を短期間に擁立し、ロシアの勢力圏としてのウクライナを作り出す以外に、今回のウクライナ侵略が、プーチン大統領なりに意味を持つものとなりうる可能性はあるのか、そのための検討でもある。

産業論的視点から見た現況は、ウクライナの産業にとって、大規模な物理的な破壊が行われており、これほどの悲劇的なことはないといえる。同時に、ロシアの工業基盤の状況から見れば、ロシア経済にとっても、侵略による戦争状況が、長期化すればするほど、天然資源依存の国民経済とその下でのロシア国民の生活を維持することは、困難になるといえる。それを少しでも緩和しているのが、中国からの工業製品輸入であり、トルコやインドからの工業製品輸入であると言えよう。これがなければ、ロシアの一般市民の生活は、まともな新品の衣服さえ手に入らない状況に一気になろう。侵略戦争をプーチンの顔が立つように終えられるまで、プーチンを圧倒的に支持するロシア国民は、「(欧米製品については)欲しがりません。勝つまでは」すなわち「勝つまでは(中国製やトルコ製で)我慢、我慢」ということになる。このような国民に大きな犠牲を生じる状況は、いつまで持つのであろうか。ロシア国民のプーチン大統領支持が一挙に縮小するのは、結構間近ではないのか。同時に、当面は、工業製品の主要供給国としての中国そしてインドやトルコの対ロシア姿勢が、プーチン政権の生命線となる、ということでもある。

 

参考文献

Global Note「世界の1人当たり購買力平価GDP 国別ランキング・推移(世銀」( https://www.globalnote.jp/post-3389.html  202234日閲覧)

経済産業省編『通商白書2018年版』(https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2018/2018honbun/i1250000.html、 

202244日閲覧)

中国北アジア課『2021年の中ロ貿易、輸出入とも3割超の伸び、中国はエネルギー禁輸への反対表明 』(ジェトロ2022317日、https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/03/af99a5fab099f762.html  202244日閲覧)

藤原克美『移行期ロシアの繊維産業–ソビエト軽工業の崩壊と再編』(2012年、春風社)