2022年1月24日月曜日

1月24日 FT記事、‘Russia Builds ‘fortress’ against western threats‘ を読んで

 FT記事を読んで

Seddon, M & P. Ivanova Russia Builds fortress against western threats’

FT, 19 Jan. 2022, p.2

渡辺幸男

 この記事は、基本的に今のロシアの対外スタンスを端的に表現しているものであった。対ウクライナについてのロシアの強行姿勢の背景について議論していて、その中心は、米欧諸国からのウクライナ政策についての金融制裁に備えているし、その水準は十分なものだ、という内容である。

 備えの第一は対欧州へのガス供給である。ロシアのガスへの欧州諸国の依存はあまり減っておらず、ガス供給制限を行うという脅しは十分意味がある、というのが、この記事の第一の論点である。第二は、米国の金融制裁に備え、外貨を積み増し、しかも外貨の構成でドル依存を減らし、金や人民元を増やしているという点である。この原資となっているのが、一方での石油価格高騰であり、他方での、成長率を抑え、国内インフラ投資の抑制していることであると指摘している。

 資源大国ロシアの面目躍如、これが原資となりプーチン大統領の対外政策での強気、侵略的姿勢、勢力圏の設定努力を支えていると言える。このような内容の記事である。

 この記事を読んで、プーチン大統領の強気の対外政策の、よって来たる所以を私なりにより強く理解できた。今のロシアにとって、資源価格の高騰は、強気の対外政策を実行する好機である、ということができよう。このような状況は、ごく短期なものではなく、それなりに継続する短中期なものといえよう。

 大きく状況を変えるとしたら、欧州のエネルギー依存の状況が、ロシアのガスを1つの中心とするものから、自然エネルギー中心、そして原子力発電の復活拡大による変化が本格化し、大きく変化する長期的な動向である、といえよう。それゆえ、資源大国ロシアとその強気は、当面、短中期では、維持されるということになろう。

 ただ、この記事の最後の方での指摘が、私には大変気になった。ドル依存を減らすために、ロシアが外貨の保有構成内容を変えるのみではなく、外貨の積み上げ努力をしており、そのために、国内景気への刺激を抑え、低成長率に甘んじ、またその流れとも言えるが、インフラ投資も抑えているということである。このことは、長期的な意味、特にロシア経済の現在の弱点を修正とするというより、悪化させる長期的な含意が大きいと、私には思える。

 ロシア経済は、旧ソ連解体後、一層、資源輸出国としての性格を強めている。その一方、軍事産業、すなわち政府需要依存を中核とした産業部門を除く、工業部門の国際競争力、もともと旧ソ連時代にもなかったが、旧ソ連圏内の囲い込んだ市場の需要を確保でき、それに依存して多様な工業部門がロシア国内に存在しえていた。そこから、旧ソ連解体後の国内市場での米欧企業、そして中国やトルコといった後進工業化国の企業との競争が生じ始めるという状況下で、資本財から工業原料そして安価な量産消費材まで、対外依存が高まっている。戦後高度成長期後半の日本と同様に、一通りの工業生産を国内生産できた旧ソ連時代と異なり、今や、工業面で内需対応能力のある国内生産のロシア系企業が激減しているだけではなく、外資系の企業のロシアへの直接投資も限定的であり、国内で内需向けの工業製品を生産することは、量産的な消費財から設備投資用の資本財に至るまで、基本的に困難になり、多くを輸入に依存せざるをえないようになっている。(藤原克美『移行期ロシアの繊維産業 ソビエト工業の崩壊と再編』(春風社,2012)は、本ブログでもかつて紹介したが、旧ソ連では繊維製品を繊維機械から始め紡績から衣服製造まで国内向けにソ連の国内企業が生産し、国内市場に供給していた。が、ソ連崩壊後は、衣服用の布帛は輸入品に変わり、繊維機械生産は壊滅的状況にある。国内完結型の繊維産体系が崩壊したことを示している。)

すなわち、工業製品については、相対的に優良あるいは安価な海外生産製品に大きく依存していることになる。多様な工業製品について海外生産品に依存していることでは、ある意味で現在の米国と共通しているのであるが、決定的な違いは、米国には企画開発し販売を行うファブレス的な先進工業製品生産企業が、多数立地しているのに対し、ロシアの場合、生産基盤が国内に存在しないだけではなく、国際競争力のある企画開発するファブレス企業も、ほとんどその存在は、我々には伝わってこない、という状況なのである。

 すなわち、国内市場向けの外資による乗用車生産工場も国内に存立しなくなった豊かな国オーストラリアと同様な状況、より人口が多く、一人当たりの豊かさでは、オーストラリアと比較すれば、まだまだな水準の国でありながら、その世界経済での位置づけでは同様になっていると言える。ただ、人口は、オーストラリアが25百万人余であるのに対し、ロシアは144百万人余である。六倍近くである。資源大国であったとしても、これだけの数の国民を、その生活水準面で米国並みに近づけるためには、資源大国である一方、他方での工業先進国であること、工業製品分野での、何らかの意味での先進化が必要であろう。この点では、全くもって未だの感があるのが、ロシアという資源大国である。

 このような状況での、インフラ投資抑制、成長率抑制が意味するものは何か。これが、このメモで考えたいことである。もちろん短中期ではなく、長期的なロシア産業そして経済展望ということになる。米欧からの経済制裁、ここからは、高級消費財や資本財等の先端工業製品の輸入が多少困難になる可能性が存在する。しかし他方で、中国やトルコとは友好関係を構築しており、それゆえ、安価な消費財や部材とそして量産的な電子製品等についての貿易関係も順調であろう。ロシア国内企業の工業生産が、米欧による経済制裁の過程で、国内市場向けにでも多くの分野で復活し、ロシア国内での市場競争力を構築することができる展望を見出すことができるかどうか、これがロシア経済の長期的な課題であろう。

 しかし、今のインフラ投資を抑制し低成長を受け入れても、米欧諸国と対立しながら、旧ソ連圏諸国への対外強行政策を維持する、というプーチン政権の姿勢から、このような展望は、全く見出せない。プーチン大統領が君臨していると考えられる短中期的な期間では有効な対外政策だが、プーチン後のロシア経済の展望としては、全く逆行的な政策であると思える。この政策は、トルコや中国経済の発展にとってはロシア市場を今以上に確保できるという意味で大きな意味がある。がしかし、ロシア工業にとっては、経済としての長期的発展には逆行する政策といえよう。私にはプーチン大統領の当面の君臨維持のためだけの政策にみえる。ロシア経済の先進工業化のためには、全く逆行的と思えるのである。軍需産業以外についての国際競争力のある工業分野企業のロシア国内形成が、海外企業のロシアへの直接投資を含め、天然資源輸出優先と国内インフラ低投資からは、全く見えてこない。

 資源立国ロシアの資源を利用した国際的に優位な強い立場、そして当面のその維持は可能でも、それ以後の発展展望が見えない。プーチン大統領の野望、威信維持のために、偉大なロシア(帝国)再建のために、長期的発展、豊かな天然資源を活用した豊かなロシア経済とそして豊かなロシア国民生活への道の模索が停止されているのではないか。そのように感じられてしょうがない。

 余計なお世話、資源輸入国日本の老人が危惧する必要が全くない話であるかもしれない。しかし、豊かな安定した隣国の誕生は、隣国日本や中国、そして欧州諸国にとっても大変大きな意味のあることであろう。それに対して、軍需用の一部分野を除いた一般的な工業製品については、ほぼ全面的に外資そして輸入に依存する資源大国、国民的な豊かさを実現し難いが故に、国際的な威信の回復を領土的な覇権によって自国民にみせざるを得ない政府、これは隣国にとっては、大変厄介な話である。

北方領土問題も、この脈絡からは、絶対何らの進展も見せないであろう。弱い工業生産力にもかかわらず、強力な覇権国家であることを常に国民に示すことが存立継続の第一条件となっているプーチン政権にとって、領土を拡大することを志向したとしても、第二次世界大戦で事実上獲得した領土を一寸たりとも隣国に戻すといったことは、政権としての自滅以外の何者でもなく、絶対的に避けるべき事態であろう。

2022年1月1日土曜日

1月1日  壬寅元旦

 壬寅元旦

謹 賀 新 年

渡辺幸男

 

今年も、元気に新年を迎えることができました。本年もよろしくお願いします。

昨年1年間、ほぼ、住まいがある中郡二宮町から出ない生活。出ても中郡大磯町の東海大大磯病院に、ほぼ定期的に三月に一回ほど通院する、あるいは、買い物に近所の市や町のDIYに出掛ける程度でした。会議や学会の多くも、リモートで開催されたので、自宅から出ることなく、多くの方と議論をし、打ち合わせをしました。

昨年は、正月の一族の集まりも中止し、静かな正月、といっても娘家族6名は来ていたので、それなりに賑やかでしたが、いつもよりはですが。また、昨年、多摩川を越えたのは数回、最後は10月に中小企業研究奨励賞審査の際、現物の応募作品を一覧する必要から、第1回専門委員会に出席するため、茅場町まで出かけました。新型コロナのため、ということができますが、元来の出不精であり、自宅での庭いじりと周辺の散歩で毎日を過ごし満足する私にとっては、それほど普段と変わらない日常で、楽しく過ごしたと言えます。

20194月に受けた腰椎あたりの骨髄炎の手術、骨髄炎そのものの再発もなく、痛みは全くないのですが、骨髄炎の炎症で圧迫されて神経の一部が傷み、右足に痺れが残っています。平らなところならば、杖を使わず、歩き続けることができるのですが、坂道をそれなりのスピードで歩くためには、杖が不可欠なような状況のまま、この2年半を過ごしています。私の住む二宮町百合が丘は、名前の通り丘にできた住宅地なので、家から出れば、登るか降るかしかなく、坂道を散歩で歩き回るには杖が必携となっています。

手術後、右足の痺れが残ったこともあり、運転中に血圧が上がり、問題が生じる可能性を感じたので、昨年の春、免許の更新を諦めました。そのため、坂の上のほうに住みながら、運転ができず、近所での買い物も、車を使うことはできなくなり、散歩のついでにスーパー、コンビニやドラッグストアに立ち寄る時に行うような状況です。杖をついての移動や買い物、そして妻の運転での買い物、これが日常になりました。

また、中小企業の研究者としての名残りは、中小企業研究奨励賞の審査委員、今年度からは審査委員長ということになりましたが、これが唯一の定期的な研究面の季節労働となっています。10月から翌年3月まで、中小企業研究書を読み、評価をし、選評を書くといった作業を毎年行っています。昨年の10月から、興味深い本も、私にとっては評価できない本も、幾つも読み、私なりの評価原稿を書いてきました。審査委員間の評価が割れる著作も多く、経済部門の主査として、委員会の見解まとめる苦労を、ここ数年繰り返しています。一般の審査委員であったときは、自分の見解をもっぱら主張し、後の始末、まとめは主査にお任せだったのですが、自分が主査となると、そうはいかず、ヒラの審査委員の立場での参加が懐かしく感じられるこの頃です。

 また、昨年は、黒瀬直宏、小川正博、向山雅夫の3氏と共著で出した『21世紀中小企業論』の改訂が進行しました。すでに第3版を2013年に出し、定年退職し、講義を持たなくなった私としては、今更中小企業論の教科書を改訂し

ても・・・、と思っていたのですが。まだ現役の仲間から、統計等が古くなっているから教科書として使いにくいので、改訂しようという話が出て、また、毎年のように増刷がなされていることもあり、有斐閣の編集者の賛同も得られ、改訂版を出すことになりました。その作業として、原稿修正、初校校正、第4版用序文執筆といったことを行いました。今年中に、再校の校正を経て、出版される予定です。私の単著は2016年出版の『現代中国産業発展の研究』という慶應義塾大学出版会から出た本で最後ですが、研究者の名残りで教科書の改訂版を出すことになったと言えます。

 このような研究者の名残りの仕事、そして庭仕事以外、現在の私の日常の大きな部分を占めるのが、好きな本、好みの分野の本を濫読するということです。大きく2つないし3つの分野の本が気になっています。1つは、近世・近代の東アジア経済史です。これはまだかつての研究者としてテーマに近いのですが、後2つは、大きく離れています。

1つは中国と中央アジアを中心とした古代史と中世史、近年多くの遺跡が新たに発掘され、新たな史料が数多く発見解読されています。これまでになく、その時代の経済的政治的実態が明らかになってきています。素人として、文庫本レベルから科研費による研究の成果物としての著作まで、楽しく濫読しています。学生時代にスウェン・ヘディンの全集を読んで以来気になっていたテーマで、その蒸し返しとも言えます。

今一つは、インカ帝国に代表されるような中南米のスペインによる征服以前の歴史です。これも、近年多くの成果物が出版され、素人にも理解できるような形で成果が示されています。改めて、濫読の楽しさを味わっています。

 濫読の対象については、中小企業研究奨励賞の審査のように、文献についての評価を自分なりに行うこと、これは全く必要ありません。当たり前ですが。でも、このような読書を自由にでき、かつ、それを読書の中心としてできるのは、ゼミに入る前の20歳までの時代以来と言えます。本を読むのが好き、しかも理屈っぽいのが大好き、ということを再認識しています。

また、3つのテーマ間のつながりは、私の頭の中にも全くありませんが、好きということは、このようなことだと考えています。