2021年1月17日日曜日

1月17日 小論  インテル、お前もか!

日経「先端半導体 瀬戸際の米」「インテル劣勢、トップ交代」「自前の生産見直しも」「微細化競争で遅れ」「新CEO 技術立て直し期待」(20211152ページ)

(図のタイトル、「半導体業界は水平分業が進む」「インテルは半導体の高性能化で遅れを取った」)


FT New Intel boss faces gruelling turnround test 15 Jan. 2021, p.8 を読んで

渡辺幸男

 

 上記の2つの記事を読んで、まず感じたことは、「インテル、お前もか!」ないしは「いつか来た道」であった。

かつて、垂直統合型の半導体生産企業として、フロントランナー化した日系企業、その多くは、単に半導体生産で垂直統合していただけではなく、総合電機メーカーや通信機器メーカーという完成品、多くはそれも多様な完成品メーカーでもあった。電機産業の完成品と主要部品の双方に関して水平的多角化を実現しており、半導体についても当然のことのように開発・設計と生産を統合していた。そして、キャッチアップ完了と思えた1980年代、そして韓国サムスンに追いつかれた1990年代と、時代を追うにつれ、フロントランナーから多くの日系企業の多くの半導体部門が脱落した。いまや、いくつかの半導体でグローバル競争の土俵に乗れているに過ぎない。PCCPU、スマートフォンを構成する幾つかの主要な半導体、その多くは、日系企業以外が、当該分野をリードしている。

 そのような日系企業がかつて陥った状況に陥る恐れが、いまやインテルに生じているのではないか。そんなことを感じさせる記事である。特に、PCCPUで、常にインテルの後塵を拝していたAMDが、ファブレス化でインテルに大きく先行したことで、垂直統合型の生産体制を堅持していたインテルに対し優位に立っているという記事内容は、極めて衝撃的である。

 双方の記事で強調されるのは、今回のインテルのCEO交代が、インテルの半導体生産における台湾TSMCに対する、先端的な生産面で劣後化したということに起因していると強調している点である。7ナノメートルの回路線幅での生産を可能としたTSMCと、それに数年の遅れを取ったインテル、ということになる。この線幅競争には、当然のことながら(と私に思えるが)、日系企業は含まれない。日系半導体生産企業が線幅競争のフロントランナーであったのは、遠い過去のことである。サムスン電子とTSMCがその前の段階まで、この分野でインテルと競い合い、TMSCが一歩先んじ、その結果、インテルに先んじてファブレス化しTSMCに生産委託をしているAMDに、インテルは大きく先を越された、と述べられている。

 それゆえ、インテルも、他のファブレスメーカー同様に、少なくとも部分的にはファブレス化せざるを得ないというのがFTの記事の強調点でもある。それに対して日経は、インテルの7ナノ化の遅れが米国の半導体生産産業という観点から、大きな問題になるという点を強調している。これらの違いは、強調点が、各国間競争を念頭に置いた産業論である日経と、グローバルな半導体生産競争におけるインテルの競争力という産業論視点から個別企業経営を軸に議論するFTとの違いによるともいえる。

 半導体産業の先端部品での競争を各国別動向として見ることには、どれほど意味があるのであろうか。先端半導体の生産は、メモリーとインテルの主要製品を除き、基本的には垂直統合ではなくファブレス化した企業とファウンドリとの社会的分業のグローバルな連関の中で成り立っている。クァルコム、AMD、エヌビディアといった先端的半導体メーカーは、基本的にファブレス企業であり、開発・設計そして販売に特化している。それらの半導体の生産を引き受けているのが台湾のTMSC等のファウンドリやファウンドリも兼業する韓国のサムソン電子である。半導体メーカーとしてインテルやメモリーメーカーが、垂直統合型として例外的存在の形で残っていた。日系企業は主要半導体について言えば、キオクシアのフラッシュメモリー以外、垂直統合型としては明確に先端ではなくなっている、という状況にある。もちろん半導体製造装置では、先端技術を担う企業が多く存在するのも日系企業ではある。

 以上のような状況は、今では、日系半導体開発企業としては、TSMCやサムスン電子に受託してもらえるような有力製品を開発・設計することが、重要であるような状況にあることを示唆するともいえよう。

 このように見てくると、現在の半導体産業を考える視点としては、まずもってはグローバルな市場でのグローバルな市場を前提とした半導体開発・設計メーカーと、グローバルな受託生産企業、先端的なファウンドリの存在との社会的分業を前提とした競争、と捉えるべきなのであろう。そこに、国家戦略の観点から米国政府によるグローバル市場からの中国企業の排除が政策的に生じている、と見ることができよう。そもそも、米国内だけに主要な先端的な半導体「生産」(先端主要半導体製品の開発・設計、生産そして先端主要半導体製造装置の開発・設計・生産)を囲い込めるような状況なのではない。もちろん、中国国内には先端的な半導体企業の本拠地、主要生産拠点、主要開発拠点、さらには主要半導体製造装置企業の主要開発生産拠点は存在しない。もともと、インテルは、基本的に垂直統合型の半導体メーカーであり、米系ファブレスメーカーの生産受託企業ではない。米系ファブレスメーカーにとっての(先端的な)受託生産者すなわちファウンドリは、米国内の専業的ファウンドリとともに、台湾生産立地の台湾系であり、韓国生産立地の韓国系なのである。その最先端ファウンドリこそ台湾のTSMCとなる。

 このようにみてくると、日経記事の「米国メーカーが脱落する」(実際は、垂直統合型メーカーとしてのインテルが、垂直統合型として脱落)といったこと自体は、それほど大きな問題ではない、とも言えそうである。少なくとも半導体産業の産業としてのダイナミズムという視点から見るならば。

 他方で、FTが企業間競争の視点から取り上げている、インテルの課題は、これまで内製化してきた部品を、既存の大手ファウンドリに外注する際の幾つもの課題の存在である。1つは、内部の生産機能を専用的利用してきたことによる、開発・設計部門と生産部門との、インテル内部特有のつながりの存在と、それを前提し活用した設計生産方法を、改めて再編することの必要性である。今一つは、新規に大手ファウンドリに発注する際に、どこまで生産量を十分確保できるかの問題である。既存の有力な顧客を抱える先端のTSMCにとって、その生産能力をインテルにどれだけ振り分けられるか、少なくとも当面その量は限定的であろう、というのがFTの見立てである。後者の問題は、当面、極めて大きな問題であろう。サムスン電子のファウンドリ部門との協力で、これを緩和することが志向されているとFTの記事には書かれている。

 また、前者の問題、内製と作り方を変えざるを得ないという、ファウンドリへの発注の既存のあり方に順応する必要性、これは、中期的には、より大きな問題であろう。これまで、内製であるが故に、開発と生産部門が相互になじんだ状況を前提にして設計を行うことは、今後のインテルには許されないことになる。この点こそ、「いつかきた道」とも思える状況、すなわちかつて垂直的統合形態で生産していた日系半導体生産企業の多くが、競争力を喪失した過程が、より大規模に強烈にPCCPUで世界を制覇していた、あるいは未だしているグローバル企業インテルに生じつつある、ということにつながる可能性を秘めている。

AMDと同じ土俵で戦う必要性、先端製品で競争するのであれば、生産で差別化できないどころか、逆に、これまで行ってこなかった外注するに向いた開発設計を行うことが改めて必要となり、それを早急に行うことができなければ、多くの半導体で先端企業としての地位を失うことになる。この点では競合するAMD等のファブレスメーカーに対しては一歩遅れていることを自覚することが求められることになる。それがなければ、例え、サムスン電子との協力で、他のファブレスメーカー並みにファウンドリを活用できても、それを生かし切ることはできず、同じ土俵に立った既存のファブレスメーカーの後塵を拝することになる。

かつての日系半導体メーカーの多くが経験した悪夢、その巨大な再現となるかもしれない。これこそ、「インテル、お前もか」というタイトルへの道の可能性を示唆するものである。競争優位を長期にわたって実現するために有効に機能した開発から生産・販売に関する自社内に蓄積された経験、これを競争環境が変化したことを踏まえ、同じ製品群について大きく変える、ということがいかに難しいか、これ自体は日系企業がここ数十年、散々経験してきたことである。これが、今、インテルの半導体生産で、再度試されている、というのがFTの記事の主要な含意ではないか、と感じた次第である。

市場の継続的存続拡大の下で、生産のあり方が大きく変化した。生産体制での連続性が、生産技術の大きな変化を伴いながら断絶した。旧来の生産体制下で大成功した企業が、どこまで新たな生産体制環境に順応できるのであろうか、これがインテルを事例に、再度実験され始めている。これこそが、インテルCEO交代に関して見るべき、産業論的な意味での最大課題ではなかろうか。

 

*日経では、いつものことながら、開発・設計と生産の双方を自社内で行うのが「垂直統合」で、開発・設計と生産とが、「それぞれ強みに特化」し社会的分業を行うことを「水平分業」としている。FTでは前者について‘the vertically integrated business’ あるいはインテルには ‘integration of design and manufacturing’ が染み込まれていると表現しているが、‘“fablessmodel‘という表現はあるが、「水平分業」に当たる言葉は出てこない。

 開発・設計と生産という垂直的(vertically)に分業している関係にある機能が、自社内にあるのが垂直統合である。これは日経の図からもFTの表現からも明確である。他方で、その対概念は、日経掲載の図からも明らかなように、この場合のインテルのfabless化とは、開発・設計と生産という垂直的な分業関係を自社内のものから他社に発注する関係に変えることであり、垂直的な関連性を持つ機能の間で、社内分業ではなく社会的分業を形成することである。このブログの中でも、繰り返しいってきたことであるが、垂直的な関係の中での企業内分業か企業間分業かの変化であり、垂直的な関係そのものには全く変化がない。

もし水平(社会的)分業ということであれば、この場合であれば、PCでのCPUメーカーが例えば他のPC部品であるハードディスクも自社内で生産するのが水平統合であり、ハードディスクは他社が生産するのが水平(社会的)分業という意味での分業である。ファブレス化は、このような意味でのhorizontalな(社会的)分業関係になるのではない。水平的分業から水平的統合に移行したこの分野の近年における典型的な例は、HDDメーカー、ウエスタン・デジタルがフラッシュメモリーメーカーのサンディスクを買収した例であろう。両者はもともと記憶装置分野で異なるタイプの用途が大きく違っていた記憶装置の、それぞれのトップメーカーであった。その意味で水平(社会的)分業関係にあった。それがウエスタン・デジタルのサンディスク買収で、水平統合関係になった。

2021年1月1日金曜日

辛丑 元旦  あけましておめでとうございます

                       辛丑 元旦

謹 賀 新 年

                                                        渡辺幸男

 

 昨年、2020年も、私にとって、2019年春以来の大変大きな変化の続きの年でした。こうして2021年の元旦を、それなりに元気に迎えているということ、今年も「幸いなり」という以外ありません。

 一昨年の4月初めからの4ヶ月近くの東海大大磯病院での手術と入院、その後の通院、ようやく1年後の昨年の4月初め、手術自体の治療は終了しました。一応治癒と言うことになりましたが、骨髄炎の炎症により痛めた腰から下の神経の一部は元の水準までは回復せず、後遺症として、右足を中心とした足の痺れが残りました。

 ただ、リハビリのおかげと麻痺の程度が激しくなかったせいで、杖をついてですが、家の周辺の坂道での歩行を30分以上連続で行うことができるほどに回復しています。昨年の日課、毎日4千歩の散歩を40分近くかけて行い、それを含め、少なくとも1日8千歩以上を歩く、と言うこともほぼ実現できました。何せ、手術の直前は、右足が完全に痺れ、全く右足の存在を感じとれなくなっていたのですから。多少痺れがはじまっていた左足の状況もあり、もう少し手術が遅れれば、炎症から回復しても車椅子生活がいいところで、寝たきりにもなりかねなかったのです。一大回復だと、私自身、思っています。診察初日の午後に、すぐ、残業を決断し緊急手術をしてくださった、東海大大磯病院の長井医師とスタッフの方々に感謝、感謝です。

 昨年の10月には、中小企業研究奨励賞の関係で有楽町での会議に出席することになりました。坂道がないと言うことで、杖を持たずに出かけ、電車を乗り継ぎ、無事会場に到着することができました。帰りは、有楽町から東京駅まで歩道を20分間ほど歩き、東海道線に東京駅から直接乗って帰宅しました。我ながら、なかなかのものだと、びっくりした次第です。

 昨年は、Covid-19の影響もあり、夏以降、先の10月の東京行き以外は、多摩川を渡ることもなく、統一論題報告者として参加した中小企業学会全国大会をはじめとした学会等も、自宅からのズームでの参加で過ごしてきました。車の運転も再開しているのですが、高速をまともに走ったのは、川崎の津田山にある我が家の墓への春秋の彼岸前や正月前の墓掃除を兼ねた墓参だけでした。一昨年は確か、妻の運転で墓参りも出かけたのですが、昨年は、自分で運転することができました。まだ他の都県へのドライブは行わず、レストラン等にも寄らず墓地からの直帰に努め、密を避けてのドライブに徹しています。

 また、東海大大磯病院での手術に関連しての検査で、不整脈が見つかったこともあり、いまだに3月に1回、大磯病院に通院している基礎疾患ありの高齢者ということもあり、go to トラベルといったものの利用も全くしませんでした。病院通いと時々の学会活動や奨励賞審査の季節労働以外では、もっぱら家での庭仕事、鯉の世話とめだかの養殖、そして草花の栽培、これと読書、そして多少のブログ執筆で2020年の1年間を過ごしました。

 最近目を通している著作は、1719世紀の東アジアや東南アジアの経済に関わるような研究で、現在の日中を中心とした東(南)アジアの経済発展をどのように見たら良いのか、自らの視野を広げる読書をしています。自分が関心を持ち、かつ自らの直接の研究テーマでは無く、成果や審査結果を求められない研究書の読書が、これほど楽しいものとは思いませんでした。名古屋大学出版会等が出版している分厚い専門書が、幾つも我が家にたまってきました。

 

 今年も、昨年に続き、できれば、庭仕事と読書、そして時々学会等の昔の仕事の臨時仕事、という1年を、できれば送りたいと思っています。自らの体調と相談してのことですが。

 

追:かつては、週のうち2日ほど必死の思いで断酒し、それ以外は毎日飲酒をし、寝酒も嗜んでいた私ですが、最近は、金・土・日の週3日と祭日に夕食時に食中酒を楽しむだけになっています。おいしい日本酒、ワイン、ビールを、好みで選び、ほろ酔いを週3日ほど楽しむことは、退院後にも復活し、今も続けています。これが生活のメリハリにもなっている、と勝手に思っています。