2025年6月6日金曜日

6月6日 鳥飼将雅著『ロシア政治』を読んで

 鳥飼将雅著

『ロシア政治 プーチン権威主義体制の抑圧と懐柔』

(中公新書、2025) を読んで 渡辺幸男

 

目次

はじめに

第1章      混乱から強権的統治へ —ペレストロイカ以降の歴史—

第2章      大統領・連邦議会・首相 —準大統領制の制度的基盤—

第3章      政党と選挙 —政党制の支配と選挙操作—

第4章      中央地方関係 —広大な多民族国家—

第5章      法執行機関 —独裁を可能にする力の源泉—

第6章      政治と経済 —資源依存の経済と国家—

第7章      市民社会とメディア —市民を体制に取り込む技術—

終章  プーチン権威主義体制を内側から見る

あとがき

 

 本書の著者は、1990年生まれとのこと、私からみたら若い研究者と言える存在である。ロシアの現場を歩き、ロシア政治の現状について、多面的に自分の目で見、そして考えたことが伝わってくる著作と感じられた。さらに、「あとがき」を眺めていたら、著者の大学院の時の指導教授は、1960年生まれの松里公孝東京大学教授で、『ウクライナ動乱 —ソ連解体から露ウ戦争まで』(ちくま新書)を書いた方であった。松里教授のこの本を読み、教えられることが多かったこと、しかしウクライナを含めた旧ソ連の工業についての記述についての不満を、ブログにその感想文として書いたことを思い出した。

 

(以下、本書の全7章のうちの1つの章、第6章の1つの節のみに注目した、我田引水の勝手な感想文であること、このことを、ご承知の上でお読みくだされば幸いです。)

 本書の中でも、ロシアの産業ないし工業について、第6章の「政治と経済」で議論されていた。その章の最後の節で「モノゴロドの延命と政治の論理」ということが議論され、大変興味深かった。本書によれば、モノゴロドというのは旧ソ連時代からの日本風に言えば企業城下町のことであるとのことである。現代のロシアにも多く残っており、日本の企業城下町以上に特定の1つの大企業に依存している町が、ロシアには多いそうである。本書によれば、モノゴロドに分類されるのは、「都市形成企業」が「市内労働人口の25パーセント以上を雇用している、あるいは市の工業生産の50パーセント以上を占めている」(本書、233ページ)都市のことである。また、このモノゴロド全体で2008年にロシアの「40パーセントのGDPを生産している」(本書、233ページ)としている。

 もし、本書での言及の通りであれば、すなわち、2008年時点でも、ロシアでは、旧ソ連時代の工業大企業の企業城下町がそのまま残り、依然としてGDP40%を占めている、ということなる。旧ソ連の崩壊から20年近くがたった時点で、計画経済期に市場競争原理への対応とは無関係に構築された特定大企業に依存した工業都市が、2000年代末においても、依然としてロシアの経済の4割を占めている、ということになる。

 

 私が2000年頃から見てきた中国の工業は、ロシア同様、計画経済時の工業を引き継いでいながら、このような旧ソ連由来のロシアの状況とは、全く異なっていた。計画経済期の工業建設の影響が一番多く残っていると見られる中国東北部の遼寧省瀋陽市でさえ、2000年代半ばに調査で訪問した時、国有の工作機械製造企業も残っていたが、他方で、浙江省の温州人が多数進出し温州協会を設立し、温州人による新規工場立地建設も生じていた。

また、中国の自動車産業について言えば、計画経済期以来の国有大企業群は、外資進出の合弁受け皿としては残存しているが、今の中国で元気に活動している自動車メーカーのうち、中国系企業は、いずれも改革開放後に設立された、民営ないしは地方国有企業である。計画経済期に形成された工業系の国有大企業群は、改革開放以後に設立された新興企業に圧倒され、生き残っていても、かつての寡占的市場占有力を持たない。

また、私が実際に現地調査等を通して見てきた自転車産業では、改革開放期初期には国有の巨大な寡占的大企業が存在し積極的に生産拡大を実現していたのだが、その後それらの企業は新興企業との競争に敗れ、寡占的市場支配力を全く喪失し、計画経済時からのブランドの利用料に依存することによってしか生き残ることができない、劣後した大企業といった存在となっていた。中国の自転車産業の調査を通して、計画経済時の技術力、技術者・熟練技能者等については、その後の工業発展に大きな意味を持っていたことが見てとれたが、計画経済時の国有大企業自体は、その後の市場競争に敗れ、その多くが新興企業に取って代わられていたことがわかった。

 

ロシアの現状、本書で紹介されているモノゴロドに代表されるそれ、それを見る限り、ロシアの場合は、90年代以降の市場経済化の中で、既存工業大企業、特にモノゴロドを形成していた大企業は、国内の新興企業勢力によって解体されることがなかったことになる。その意味するところは、1つは、国内工業の新たな発展を担う新たな新興企業群の地元での形成が弱く、海外からの輸入や海外からの直接投資等による競争にさらされるだけであったこと、これが1つであろう。今一つは、海外企業との競争にさらされる中で、中核企業の消滅や顕著な縮小は、地域社会にとって決定的なダメージとなるがゆえに、大企業のまま温存する努力が維持されてきた、ということになろう。温存するだけの豊かさが、中国とは異なりロシアの場合は豊富な天然資源等から得られたがゆえに、一定程度維持に成功し得たと言えるのではないだろうか。

市場競争による淘汰は、多くの場合、旧来の大企業が新興企業に取って代わられることにより実現する、ということからして、ロシアの状況は、市場競争を通しての自国系国内工業の再生とはほど遠い、多数のモノゴロドの残存という結果となったのであろう。つまり、市場経済化のもとでの工業発展の可能性の実現、先進工業へのキャッチアップ、国際競争力の形成という点で、ロシアは完全に失敗していることを、このモノゴロドの状況は示唆していると言えそうである。

天然資源に恵まれ、計画経済下で国際競争力を持たないがそれなりの「先進工業化」を実現していた旧ソ連そしてロシア、それが市場経済化後、恵まれている天然資源に頼ることができるがゆえに、モノゴロドを維持しながらも国民の生活水準の一定の向上を実現できた。このようにいうこともできよう。しかし、その代償は、長期的にロシア経済を展望する時、極めて大きなものとなろう。

モノゴロドの存在を前提に市場経済の下での本来的な先進工業化を実現できるのであろうか。市場経済的な論理を優先せずに形成された企業城下町群、これが現代の市場経済化したロシア経済の中で発展展望を持ちうるのか、発展展望を持つことは、創造的破壊が実行されない限り、ほぼ不可能であろう。市場経済下での企業活動でも有効な部分を残し、地理的立地の大幅変更を含め、完全な企業そのもの再編成あるいは新規企業への交代を通して、市場経済での競争に対応可能な地域にそれらの企業群を構築することが、何よりも必要である。が、しかし、ジェトロの報告 (1)等からも示唆されるように、モノゴロドの企業あるいはその存立地域を前提に工業活性化を実現しようとする姿勢が、その後も依然として存在するようであり、大幅な地理的工業分布変動を伴った、既存工業人材等を活かした工業活性化は、ほぼ不可能のように思える。

 

ロシアの「非工業化」の進展、これがさらに進行していることが、モノゴロドについての本書での紹介からも、またもや見えてきた、というのが、私の本書を読んでの感想である。豊かな一次資源、国民生活の一定程度の向上を実現できるほどの一次資源の豊富な存在、これは、現プーチン政権のウクライナ侵略のためには欠かせない前提であろう。しかし、それは急速な市場経済化と一体化された時、旧ソ連時代に築いた「先進工業」基盤の解体そのもの、ないしは、その市場経済下での先進化の機会の喪失を意味することになる。

1億4千万人余のロシアの人々が、5分の1以下の人口のオーストラリアの人々のように、豊かな一次産業資源の活用で、安定的な豊かな国民生活を実現できるのであろうか。たとえプーチンが始めたウクライナ侵略戦争で勝利し、クリミア半島やウクライナ東部諸州をロシア領としたとしても、旧ソ連の「先進工業」の市場経済下での先進工業化、それに基づくロシア経済の先進工業に依存する先進経済化への展望は、私には、全く見えてこない。

戦後不況に喘ぐ、先進的工業製品についてはほぼ全面的に中国経済に依存する中国やインドの市場のみを主として対象とする一次産品輸出国、そんなロシアの姿が、ウクライナ侵略戦争の結果如何に関わらず、見えてくる。豊かな一次産品国としての発展機会の喪失の可能性も含め、欧州という豊かな一次産品輸出市場を失うことの代償は極めて大きい。欧州諸国政府の誰が、ロシアの天然資源に依存する経済を再度構築しようと考えるであろうか。少なくとも主要な欧州諸国政府は、ウクライナ侵略の際のロシアの行動を念頭に、一次産品についてのロシア依存を今後は徹底的に避けるであろう。

 

(1) 一瀬友太「「企業城下町」モノゴロドで中小企業ビジネスの起業を支援」(ジェトロhttps://www.jetro.go.jp、地域・分析レポート、201896日、202565日閲覧)