2025年5月29日木曜日
5月28日 初夏、エントランスの花々
2025年5月18日日曜日
5月18日 丸川知雄著『中国の産業政策』を読んで
丸川知雄著『中国の産業政策 主導権獲得への模索』
(名古屋大学出版会、2025年) を読んで考えたこと 渡辺幸男
本書の目次
序章 産業政策の定義と類型
第1章 産業政策の展開
第2章 地方政府の産業政策 —5カ年計画のテキスト分析
第3章 移動通信産業 —技術の主導権の獲得
第4章 半導体産業 —企業家国家から投資家国家へ
第5章 自動車産業 —幼稚産業育成の失敗から比較優位の獲得へ
第6章 鉄鋼業 —産業政策によって鉄鋼超大国になったのか
第7章 再生可能エネルギー —製造大国から利用大国へ
第8章 液晶パネル産業 —企業家としての地方政府
第9章 未来産業に産業政策は必要か
この本で議論されていることの中心は、タイトルにあるように「中国の産業政策」である。中国の産業政策について、中国での産業政策それ自体の有効性を議論するとともに、近年中国の産業発展の中で注目されている目次にあるような工業部門のいくつかの産業について、そこでの中央政府の産業政策とその成果、同時に地方政府の政策とその持つ意味が検討されている。
そして、そこでの議論の何よりの特徴は、中国での近年の工業諸部門の急激な発展が、中央政府の産業政策の成果そのものであるとは言えない、ということであろう。成果と言えないどころか、中央政府の産業政策の意図が全く実現されずに、それにもかかわらず、中央政府が意図した産業発展の担い手ではない担い手により急激な産業発展が実現し、意図された形とは大きく異なる形で、産業それ自体は大いに発展した業種がいくつも存在するという事実の確認にあるともいえよう。
例えば、鉄鋼業では、計画経済以来の中央政府国有大企業としての鉄鋼諸企業を中心として産業発展が、中央政府による政策では企図されていた。が、しかし、実際にはより専門化した相対的に規模の小さなそれ以外の新興鉄鋼企業がより一層発展し、それらの企業が鉄鋼業に占める比率が、極めて高くなった事実を示している。産業政策の意図とは異なる形での発展が実現し、結果として国際的な貿易摩擦をも生み出していることを確認している。
その中でも最たるものは、自動車産業であろう。先進工業国の外資と既存国有大企業との合弁を、先進工業国の自動車メーカーに中国市場進出の条件とすることで、政策的に中央政府国有大企業主導の産業発展を期したのが中央政府であった。が、結果は、旧来の国有大企業の「地主」化が進行し、収益をあげ経営を継続し得たが、世界最大化した国内市場の存在にもかかわらず、国内自動車産業の主要な担い手とはならなかった。既存国有大企業が主導するのではなく、合弁相手の外資系企業が主導する自動車産業となった。しかし、他方で民営や地方国有の新興企業が進出し、それらが旧来の国有企業が実現できなかった自立的中国系自動車メーカー層の形成を実現した。その上で、自動車のEV化の進行を契機に、さらに異なる分野からの参入や新規創業が輩出し、その中からグローバルな競争力を持つEVメーカーやEV用電池メーカーが形成された。
中央政府の意図とは全く異なる形でだが、最も巨大な産業で、自国系である中国企業の、世界最大市場である中国市場制覇が実現し、そして世界市場制覇の可能性が生まれたのである。
以上の点、各産業での分析は、産業政策を軸としながらも、各産業それ自体の産業発展をも紹介し、その中での産業政策のもった意味、あるいは持たなかった状況を紹介している。それ自体として、上で鉄鋼業について簡単に触れたように、中国で急激に発展した現代的な工業の各産業について、大変興味深い政策がらみでの発展経過の内容が紹介されている。
ただし、本書の特徴は、産業政策がらみでの産業発展を議論することに主眼があるためか、各産業の発展経過の概略についてはきちんと紹介されているが、各産業それ自体が何故発展できたのか、その論理そのものの追究は不十分なように思える。例えば、各産業で民間起業家が輩出し、その中からグローバル企業の担い手となる企業群の形成を紹介しているが、その民間起業家層それ自体の中国社会での形成輩出についての議論はほとんどないように見える。すなわち、中央政府の主たる政策対象となった旧来型の中央政府国有企業以外の新興企業について、それ自体の層としての形成や、その発展の経過そして激しい競争の展開状況や、そしてその中での多くの新興企業の退出と少数の企業のグローバル企業化といったことの背景についての議論はほとんど見えない。
また、新規形成産業での主要市場となった中国国内市場の特性についての議論、それが(潜在的に)巨大な市場でありながら、中国の新興企業にとって、最も活躍しやすい市場となり、外資系の企業や、旧来の国有企業が既存企業として大きな意味を持つ市場ではないこと等が生じた所以についての分析等もほとんど見られない。
新興の企業、中央政府国有大企業でない企業が、主導できるような巨大市場が一挙に形成されたのが、中国の本書で取り上げているような諸産業分野であるにもかかわらず、である。
何故、改革開放後の中国において、新規創業が多様な分野で極めて多数生じ、その中から少数のグローバルな市場での競争を担い得るような先端企業が、いくつも生まれたのであろうか。逆に言えば、極めて多数の企業が競争に敗れ、市場から退出した中で、少数の新興企業が先進化し巨大化し得たのはなぜか、ということになろう。このような疑問が、改めて浮かんできた。
私自身は、中国の諸産業の展開については、中国自転車産業の事例についてのみ、それなりに聞き取り調査を含め、実態調査を行い、その発展展開の論理を追究したが、そのような産業別の実態調査は、ほぼ自転車産業にとどまり、現在の先端的工業分野での中国企業の生き残りと成長の論理を調査することはできていない。丸川氏をはじめとする方々、多様かつ多数の現場を見続けており、それに基づき議論する方達に、この点について、ぜひ、お聞きしたいところである。
キャッチアップをある程度完了したところで、国内での寡占的市場支配を実現し、結果として、その後の世界市場での優位性形成と維持の困難な産業分野が多くなったのが、日本の巨大企業群と言えるであろう。それに対して、中国の企業群、華為やBYDはどうなるのであろうか。また、鉄鋼業や造船業の中国系企業群による世界市場支配は、今後、どう展開していくのであろうか。世界一の巨大国内市場を背景にしているだけに、今後の展開は、他には見られない独自なものとなることだけは言えそうである。
この点では、ある時点から米国市場への依存が急拡大した日本の工業系の巨大企業とは、かなり異なる環境にあると言えるであろう。
いずれにしても、産業発展を考えるとき、既存の企業を優先し、それらの中の主力的な企業を抜き出し、その企業を専ら活用し、担い手として先進工業へのキャッチアップを実現しようとする政策、これをも産業政策の1つのタイプとするならば、そのようなタイプの政策が成功することは、大変稀有であろうということである。この点を中国の事例もまた明らかにしているというのが、この本の示していることの1つであろう。
(私には、今、日本の政府により行われている液晶パネル企業の支援等、特定分野の少数特定企業を選択しての支援が、まさにそのような事例に見えてならないのだが)
この本で取り上げている産業で、中国の経済計画時から産業としてそれなりに存在し、国有大企業がいくつか存在した自動車産業と鉄鋼業、その双方で、既存中央政府国有大企業は、産業政策での主要支援育成対象となりながら、その期待に応えられず、改革開放後の中国経済、工業の発展の中核的発展部分となり得なかった。そこでの主役は、新興民営企業であり、新興地方国有企業であった。しかも、それらの企業は、巨大化した企業そのものは少数だが、当初の参入企業は大変多く存在し、激しい競争の結果として、多くの企業は脱落し、生き残って成長した少数企業が巨大化し産業の主役となったと思われる。
現代資本主義も資本主義であり、そのダイナミズムにとっての必要条件は、多くの企業による市場での激しい競争であるということなのではないか。激しい市場競争に揉まれ、その中で生き残れた企業こそが、次世代の産業発展の担い手となりうる、この資本主義市場経済の原理は、現代中国経済にも貫徹していることを示唆しているのが本書と言えるのではないかと、私には思えてならない。ただ、この点は、丸川氏の議論の向こう側に透けて見えてきていることであり、本書で、正面から議論されていることではない。
(以上を、2025年5月17日午後開催の『中国の産業政策』合評会の前までに書いた)
5月17日午後の合評会での議論を聞いて
丸川氏の報告は30分、各討論者のコメント等は各10分で五人、そして丸川氏の回答、若干のフロアからの質問と丸川氏の回答、これが今回の合評会の内容であった。討論者を多様な研究者が担当し、興味深く思われたが、何せ、割り当てられた時間が短く、質疑応答の予定討論者との双方向での直接的なやりとりもなく、しかも、最近議論慣れしなくなった私には、コメントとそれへの回答についてよく理解できなった部分も多かった。議論についての理解は不十分であったが、いずれにしても、上記に書いた私の理解を、大きく変えるような議論はなかったように感じられた。
特に、新興企業が地方政府の資金的支援を活用し、急激に成長した事例が紹介されたが、どのような数の企業が参入し、多様な地方政府の支援を受け、そのうち、どのくらいの数の企業がどのような理由で生き残り、巨大企業まで成長できたかの議論は無く、この点は未だ不明のままだった。この点、時間的に多少なりとも余裕のある合評会であれば、リモートの参加者としてだが、質疑に参加したかったところであった。しかし、何せ、色々な意味で余裕のない合評会であったので、諦めた。
紹介された地方政府の出資等を生かし、成長した企業の事例(例えば、液晶パネルメーカー、恵科への多様な地方政府による助成の事例等)の紹介は、大変興味深かったが。そこでも、何故、そこまで大胆に県級市レベルの地方政府が資金を提供できるのか、それについての突っ込んだ議論は無く、特に失敗した場合、どうなるのか、についての議論等もなかったように思えた。