FT BIG READ. ELECTRIC VEHICLES
‘Can China rescue Europe’s carmakers?’
By K. Inagaki, E. White and P. Nilsson, FT, 16 April 2025, p.15
を読んで考えたこと 渡辺幸男
1970年代から日本の乗用車産業のキャッチアップとそこでの下請中小企業の意味と位置や、そして2000年から中国での産業発展をも追いかけてきた私にとって、このFTの記事は極めて衝撃的である。タイトルそのものが、「中国は欧州のカーメーカーたちを救うことができるか?」と度肝を抜くようなものとなっているだけではない。タイトルの上の記事の要約として、「顕著な役割の逆転のなかで、中国の技術がworld-leadingであるといえるバッテリーやソフトウェアのような領域で、EUはその優れた技術の見返りに市場へのアクセスを提供しつつある」と書かれている。
この記事の本文の中に明確に述べられているのであるが、乗用車産業における中国と欧州との関係は、この40年間で大逆転したとし、その契機が乗用車のEV化開発での両者の差異で、そこで逆転が生じたとしている。
そして、欧州のメーカーの中国のそれに対する、決定的な技術的遅れは、EVのソフトウェアとバッテリー技術とにあるとしている。また、中国の市場は国内企業間での競争が極めて激しく、成功した企業は、起業家によって作り出されているという発言を、肯定的に引用している。
上記の記事の議論で特記されていない点で気になるのは、中国市場の持つ大きさである。実際、記事に付記されている世界の地域別EVの販売台数でみると、2024年には、世界全体で17百万台くらいの中、中国市場だけで1千万台余となっている。このうちの台数ベースでの圧倒的部分が中国系EVメーカーの生産したものとなろう。そこでの新興企業の激しい競争、テスラを含めたそれが生じており、その中で生き残ったメーカーがBYD等ということになり、またそこに多く使われているバッテリーがBYD製やCATL製等であるということであろう。
今一つ注目すべきことが、これらの企業は、いずれも新興企業であるということである。40年ほど前までに欧米の乗用車メーカーと提携し、合弁企業を作った既存の自動車メーカーであった国有大企業の上海汽車や第一汽車等ではなく、まったくの新興企業である。BYDはバッテリーメ―カーとしては1995年創業でEVには2000年代に参入、CATLは1999年創業、いずれも米欧日韓の乗用車メーカとの合弁企業が中国市場を席巻した時代の中で生まれた、新興企業そのものである。計画経済時代の歴史を引き継ぐ改革開放下で外資進出の受け皿となった既存の主要巨大国有企業とは関係のない企業であると言える。中国市場の改革開放下で合弁の受け皿となった旧来からの自動車メーカーとしての国有大企業の名は、この記事には全く見えてこない。
私が研究者を始めた頃の日本の乗用車メーカーは、戦前からの蓄積を踏まえ、多くのメーカーが欧州の先行した乗用車メーカーと提携し、それら企業の乗用車のライセンス生産を行い、先端乗用車生産の技術を学ぶ状況をようやく脱し、自立化したところであった。巷には、まだ、日産オースチン、日野ルノー、いすゞヒルマンという、かつてのライセンス生産車の名残が存在していた。そして1980年代、日系の乗用車メーカーは、米国向け輸出を本格化し、日米貿易摩擦を引き起こした。
また中国乗用車産業の本格的形成は、さらにそれより大きく遅れた。1980年代末からの中国の改革開放後、フォルクスワーゲンを筆頭に、欧州、米国そして日韓の乗用車メーカーが相次いで、巨大化が見通されていた中国市場に直接投資をした。それは、中国政府の政策により中国既存国有企業群と合弁企業という形を取らざるをえず、その形で現地直接投資をし、成長する中国市場を2000年代までリードしていた。中国政府が期待した計画経済時の伝統を引き継ぎ合弁に参加した国有大企業群からは、全くと言っていいほど、自立化した乗用車メーカーは生まれず、それらの国有企業は外資への「貸家」業を展開し、大家としての「店賃」で満足するような状況であったといえる。
他方で、吉利等の新興民営企業、そして新興地方国有企業の中国系企業の参入はあったが、欧米日韓系の現地合弁企業に拮抗するような市場競争力を持つ中国系企業は、内燃機関使用の自動車産業では、ついに生まれなかった。この状況を大きく変えたのが、EV化の進展である。中国市場でのEV化では、中国政府が自動車産業のEV化を契機に外資系企業の市場支配を脱することを目指したことから、その政策の後押しもあり、現地系民営企業が多数新生し、既存企業をも巻き込んだ激しい生き残り競争を生じせしめ、その中から技術的高度化を実現する企業も生まれた。その中のいくつかの企業が急発展し、テスラと並んでEVメーカーとして技術的にも世界市場の先頭を走る企業群が生まれた。その代表が新興EVメーカーのBYDであり、この分野の主要部品である蓄電池のメーカー、CATLということになる。
40年の年月の経過の中で、欧州系乗用車企業と中国系乗用車企業との位置、立場が逆転し、ファルクスワーゲンを筆頭とした欧州企業の40年前における中国市場への進出と同様な現象が、今や、中国系企業の欧州市場への進出として生じている。欧州の現地企業との合弁で中国企業の直接投資を受け入れ、現地企業の残存再発展を図るという、40年前に生じたことを想起させ、しかも、それが全く逆方向で生じているということを紹介しているのが、この記事ということになる。
ここで注目すべきは、まずは、巨大な国内市場の存在と、多様な企業群の活発な参入、その結果として激しい生き残り競争の存在ということになろう。ただし、巨大な市場が形成されても、もし、外資との合弁で高い収益を得ている旧来の国有企業のみが参入可能な市場であれば、このような欧中の逆転現象は起きなかったということも、この記事での注目点である。巨大な既存の国有企業という存在がありながら、多様な新興企業の参入を許容し、かつ、それをも自国系企業の産業発展の中に組み込んでいく国家政策の存在も注目すべきであろう。「多様な新興企業の参入」と「それを許容する国家産業政策」の双方に注目すべきであろう。
政策上の決定的な特徴は、かつての欧州で見られたような、戦略的な重要分野での既存の特定企業の選定とそれへの集中的支援による、自国系企業の世界市場での生き残り発展を実現する、という政策ではないということである。自国の巨大市場を前提に、そこでの参入新興企業間での激しい競争を、結果的とも言えそうではあるのだが、許容することで、イノベーションを担う多様な新興企業群の形成を実現し、それが新たな巨大新産業企業群となり、それらの中国系新興企業がグローバル市場をリードする存在となった。このように見ることができよう。
多分に結果的に、以上のようになったと、中国の産業政策を見ることができよう。先にも指摘したように、1980年代末の改革開放期の中国は、潜在的な巨大市場としての自国乗用車市場に外資系企業の直接投資を呼び込んだ。その際、自国系の自動車産業企業を発展させるための担い手としては、もっぱら既存の巨大国有自動車産業企業を想定していたといえる。しかし、この目論見は、見事に失敗し、直接投資の合弁の受け皿となった既存巨大国有企業は、巨額な「店賃」に満足する「大家」となってしまった。
欧州各国にみられたような、チャンピオン企業1・2社を選抜し育成するような、ごく少数大企業に絞った産業政策ではなかったが、既存巨大国有企業群も次世代をリードする国内企業へとは転身できなかったのである。乗用車市場の世界最大化と言える巨大市場化が実現したにもかかわらず、既存の巨大国有企業はその市場のチャンピオンとはなれなかった。この点は、注目すべき点であろう。内燃機関の自動車産業では、中国国内企業でも、吉利のように民営企業として激しい競争の中から生き抜き成長した新興の民営大企業や地方国有大企業がいくつか形成されたが、本格的にグローバル化できるような存在とはなれなかった。
既存の世界市場での企業間競争において、一度自国内市場を外資系企業に占拠されてしまうと、そこからグローバル企業として自生的に発展する企業が形成されるということは、たとえ急速に拡大し、超巨大市場になった改革開放後の中国市場でも難しいことであったのであろう。それに対して、EVは、用途としては既存の乗用車と同様であるが、技術体系が根本的に異なる耐久消費財である。そのEVの市場を巡り、激しく開発競争する企業が存立する場として、巨大な中国市場は、参入する企業の多さと多様さ、またそれらを支援する政策主体の中央政府のみではなく地方政府も加えた多様さ、さらに一挙に巨大化する可能性のある市場の存在、それが激しい参入、開発競争をひきおこし、独自なグローバルにみても先行する新興企業群を生み出したといえよう。
ここまで大胆に結論づけて良いのか、私自身として、実は迷うところでもある。しかし、今の中国を見ていると、巨大な新市場の形成と、そこへの自由な参入企業の大量存在、その前提としての参入を許す環境ないしは参入を許容する環境、また、それらの参入企業群を支援する多様な主体の存在、このようなことが、極めて重要な要素となっていることが見えてくる。現代資本主義的市場経済のもつ、依然としての発展可能性を示すものと、中国でのEV産業の進展、そして中国企業の中からのトップランナー企業の形成から、言えるかもしれない。