個別各国産業論と経済理論の差異
渡辺幸男
1970年代後半から2010年代にかけて行った、日本と中国における中小企業を中心に見た工業発展実態調査研究を通して考えたことと、その意味について、経済理論との関連付けについて改めて考えた。
工業中小企業の存立形態は多様であり、それらの企業が当面する市場も多様である。しかも、それらの市場が置かれた経営環境も多様である。この多様性の中で、それぞれの工業(中小)企業の市場での競争が展開され、競争の成果が生じてくる。環境と主体の多様性は、結果の多様性をもたらす。
競争的環境が投下労働あたりの生産量の拡大という効率性をもたらす、ということは間違いではないが、競争的環境は多様であり、結果として効率的に達成する成果の方向性も多様である。このことを、日本と中国の中小企業の実態調査を通じて痛感した。
経済学での諸資本の競争と経済の発展の数量的表現は、多様な可能性を付加価値額や利潤あるいはGDP等の一元化した指標で評価、還元した際に抽象的に得られるものである。この点についても実態調査を通して痛感した。結果としての工業生産拡大、経済拡大は、多様な経路と成果内容を通して実現されるのであり、均質な多数の市場を前提に、均質な企業が、同様の競争を行うことで、質的にも同一な量的な拡大を意味するものではない。この点を痛感した次第である。
常に変化の経路の多様性を伴いながら、また発展内容の質的変化を伴いながら、量的な拡大あるいは縮小は生じるのである。結果としての量的評価は、あくまでも抽象的に量に還元した結果として生じるものであり、本格的な工業発展過程では、通常は多様な経路をたどり質的変化を伴いながら、生産力としての量的拡大という変化も生じると理解すべきである。というよりも、多様なルートを経由しさらに質的変化を伴うことにより、本格的な生産力の量的な拡大も可能となると言ったほうが良いかもしれない。確かに、状況によって、多様性の内容と変化の程度は異なるにしても、多様な経路でかつ質的な変化を伴いながら量的な拡大は生じているといえる。
以上の点を痛感したのは、実際に日本と中国で工業の発展を中小企業の視点から見た際である。当然のことであるが、経済学の教科書にある市場と競争の世界は、マルクス経済学のものであれ新古典派経済学のそれであれ、抽象化された市場と競争なのであり、産業発展をもたらす実際の経路、市場と競争のあり方は、多様で極めて変化しやすく、抽象化されたものがほぼそのまま存在するといったことはない。これが調査を通して見えてきた。
その要因として、私が調査を通して最も感じたものとして、それぞれの経済が置かれた大きな意味での市場環境ないしは経済環境が、まずあげられる。
戦後高度成長を遂げた日本経済、その発展の中核を担った工業部門特に機械工業部門について見れば、その地理的環境や時代環境から、先進工業資本による直接投資、企業進出が限定的であり、ライセンス生産を自国系資本すなわち日系現地工業資本が行う可能性、余地が大きな分野が多かったことである。
それに対して、計画経済から改革開放経済へと移行した1990年代以降の中国経済について言えば、状況は全く異なり、外資系工業資本の現地直接投資が非常に多く見られたという特徴がある。ただし、この際の直接投資された外資系企業の生産物が向けられた市場は、外資系企業の出自である先進工業国市場すなわち中国にとっての海外市場であった。中国市場は人口が多いが所得水準が低く、当時の先進国からの直接投資企業が生産する製品の市場としては、極めて限定的な大きさの市場であった。
同時に、日本の戦後発展過程での状況と、ある意味同様に、改革開放下の中国の産業インフラ、電力や水道そして港湾・道路・鉄道等についてみれば、近代工業が展開するに必要な最低条件を備えていた。それを実現したのが計画経済下の中国経済と言える。しかも、改革開放下の中国経済は、工業労働に動員可能な初等教育を受けたレベルの労働力が、他の地域に例を見ないほど豊富に動員可能であった。進出先の地域それ自体に存在しなくとも、内陸農村地域からの出稼ぎ労働力として、低賃金のままある意味際限なく採用を量的に拡大できる状況であった。この極めて豊富な低賃金労働力を最終組立等の工程に利用する形で、多くの中国外の先進国資本が中国に直接投資したのである。
この限りでは、中国系資本そのものによる工業発展は見えてこない。中国の改革開放を契機に、輸送コストの低下等で、広域的企業内地域間分業が可能となった先進工業国資本が、豊富な低賃金労働力そして外注先として中国系企業群を大量に利用し、中国からの輸出向け工業生産を拡大した、という工業発展に過ぎない。
しかし同時に、このような工業発展は、当時の中国の全体的な労働人口から見れば少数派であっても、都市労働者や出稼ぎ労働者といった賃金労働者を大量に、他の国に比較すれば、巨大な賃金労働者群を作り出した。これらの賃金労働者群を中心とした中国国内での新たな消費者層の形成は、現地に直接投資した中国にとっての外資にとっては、あまりにも所得水準が低く、自らの市場として開拓することが困難な低価格商品への需要のみしか生み出さなかった。しかし、総量としては巨大な超低価格商品市場が、潜在的に形成された。
これを開拓したのが、中国の新規形成企業群であった。既存の工業技術を蓄積していた計画経済に由来する国有企業は、市場の変化に対応して、それに対応した超大量の超低価格消費財とそのための生産財や資本財を開発し生産する能力、すなわち市場動向を踏まえた製品開発を行い、生産を行う能力に欠けていた。ここまでは、ロシア等の旧ソ連圏の国有企業群と同様であった。
中国の改革開放下での特徴は、旧国有企業群の外側に、大量の多様な新興企業が形成されたことである。それが新設の地方国有企業であり、郷鎮企業であり、赤い帽子を被った民営企業、さらには純粋な民営企業群である。これらが有象無象と呼べるように、雨後の筍のように、各地で大量に形成された。これらのタイプの企業の分布は、それぞれの地域で大きく異なるが、新しい市場形成を我が物としようと、実に多様な多数の公有や私有の新企業が形成されたのである。
これらの企業のほとんどは、市場開拓等に失敗し、消滅していていった。しかし、その無数に形成された新企業の中から、市場のニーズを捉え、それに適合した超安価な製品を供給する幾つもの企業や、そのための部品や資本財を開発する多数の企業が形成され、さらにそのいくつかは生き残り、発展した。
私が中国調査を始めた時点、2000年代初頭に見たのは、この生き残って元気に国内市場を開拓している企業群が活躍している状況であった。その典型が浙江省温州市の民営企業群であり、中国各地に温州城という商業拠点や浙江村といった生産拠点を作り上げ、温州産の安価な消費財や現地付近で仕上げをした安価な消費財を中心に販売を伸ばし成長していた。
あるいは、天津市の自転車産業、ここでは、国有企業として計画経済下で中国の主要メーカーとして、生産台数では当時から世界有数の大きさをもつ、一見すると寡占的市場支配企業に見える存在であった飛鴿自行車という巨大垂直統合企業が存在していた。寡占的大企業に見えたにもかかわらず、1990年代後半には新興の私営企業との主役交代が生じ、2000年代初頭に我々が天津に調査に行った時点では、飛鴿自行車はなんとかかつてのブランドを使って生き残っているに過ぎない状況になっていた。元気が良かったのは、天津とその周辺に蓄積された人材や資本財を活かし、新規に開業したいろいろなタイプの私営企業であった。それらの企業が、中国国内市場の自転車需要の変化を把握し、あるいは掘り起こし、既存の巨大国有企業に取って代わって、天津自転車産業の主役となっていた。
これらの企業は、巨大垂直統合企業であった飛鴿自行車と大きく異なり、完成品組立といった最終的な生産といった生産工程に専門化し、また各完成部品に専門化し、各加工工程に専門化していた。そして、他の企業と個別繋がりを持つこともあれば、各部品市場を通じて必要な部品を調達する等によって、完成車としての自転車生産工場群を構成していた。天津を中心にした社会的分業が形成されていたが、部材の調達はそれに限定されず、中国華南地方の部材生産企業からの調達をも射程に入れたものであった。
完成車メーカーには、日本等の企業から受託生産をも行うとともに、自社ブランドでの輸出を試みる企業も多く存在した。いずれにしても、米国や欧州を中心としたグローバル市場では、それまでにないほどの低価格な自転車として、その存立基盤、市場を確保し、高度な社会的分業を背景にし、外資系を含めた世界最大の自転車生産国である中国の一方を担っていた。もちろん、中国には、ジャイアントのような台湾系企業やブリヂストンのような日系企業も現地進出し、中国外市場向けに自社工場での生産やOEMによる委託生産をも行い、その生産の多くについて輸出していた。
それらの中国市場にとっては外資系の企業と、市場を棲み分けながら、中国内の基盤産業については、必要に応じて共有するような形で、棲み分け共存していた。
そこから見えてきたことは、極東の当時は孤立的に存在していた国内市場を前提に、海外技術の導入を軸に、自国内企業同士の激しい競争を前提に急成長した日本の機械工業を中心とした工業発展とは、全く異なった中国地元工業企業の形成発展そして中国産業発展であった。急激な工業発展を実現した東アジアの諸国経済、私がある程度詳しく見ることができたのは、日本の工業と中国の工業だが、そのほかの韓国や台湾の工業も、それぞれ独自な市場のあり方と自国系企業の競争のあり方を前提に、それぞれなりの発展を実現している。
独自な市場環境事例 ファーウェイ(華為)にとっての市場環境
こんなことを考えている中で、興味深い日経の記事に遭遇した。「ファーウェイ0S搭載9億台」(日本経済新聞、2024年6月27日、12版、p.15)という記事である。サブタイトルに「中国シェア、アップル上回る」「米規制下、内需取り込み」とついている。
米国からの種々の規制を受けたことで、ファーウェイ(華為)は、輸出市場で大きな制約を受け、売上高を大きく減らした。しかし、中国市場を改めて再開拓するために、スマホ用の独自なOS等の開発等を通して、中国市場を開拓し、スマホ等でこれまでの中国市場での首位企業アップル社を上回り、売り上げは十分には回復していないが、利益は規制開始の19年を上回るようになったと紹介している。そのために膨大な研究開発投資をしているが、それを中国市場で活かすことで、大きな利益を実現したのである。
かつて、日米自動車貿易摩擦で、日系乗用車メーカは米国市場へ直接投資をすることで、米国側の規制を回避し、その後のさらなる成長に繋げた。輸出市場としての米国市場へのアクセスを拒否されたことを、直接投資による現地生産化で回避し、市場そのものとしては、輸出で確保していた市場を維持することで、国際的に競争力ある乗用車メーカーとしての地位を持続し得たと言える。それに対して、ファーウェイの場合は、多くの先進国市場から締め出され、自国市場中心の販売を限定されながらも、その市場で既存の外資系首位企業に取って代わることで、業績を利益面で見れば、十分に回復したと言える。
ここから見えてくるのは、中国市場の巨大さである。かつて中国市場向けに開発された現地民営企業等の安価な自転車が中国市場を席巻し、その結果、中国系自転車メーカーが成長し、世界の中低価格自転車市場の圧倒的部分を占めるようになった。また、中国の潜在的に巨大な携帯電話の需要を、安価で独自な機能を持った山寨手機(正式認可品ではない従来型携帯電話)群が開拓拡大し、輸出品としても一時アジアをも席巻した。そこから見えてくるのは、市場環境としての中国国内市場の持つ(潜在的)巨大さである。
最先端のスマホ、膨大な研究開発コストがかかるそれを、独自に開発する能力を中国企業が持ち、先端化した事実を、このことは示している。同時に、中国国内市場向けにもっぱら販売するだけで、独自なスマホの研究開発費用を回収し、なおかつ膨大な利益を実現できるという巨大さを、中国市場が先端製品にたいしても持っていることが、この記事では示されている。現在の中国国内市場の持つ豊かさと巨大さが、改めて実感される結果となった。
第2次大戦後の20世紀においては、このような巨大さを備えていた一国市場としては、米国市場のみと言えるであろう。米国市場は、当時の最も規模の経済性を必要とする乗用車産業で、全く独自の大型車群で世界最大の巨大な市場を構築することが可能であった市場である。人口が3億人以上で、所得水準が高い米国市場は、いまだ、独自な巨大先端産業が、米国市場をもっぱら対象として形成されうる市場でもある。かつてはそれにEU市場が肉薄するかのように思われたが、巨大な先端産業企業の形成の場としては、そのEU市場を上回って有効なのが、中国市場と言えそうである。
その中国市場は、単に巨大なだけではなく、成長している市場で、12億人余の人々が、高所得国の入り口に差し掛かっている段階の市場である。すでに都市に住む約半数の人々は、高所得国並みの所得水準にあり、それだけで他に例を見ない巨大な市場を形成しているが、それに農村市場が成長し、かつて世界に例を見ない巨大な国内市場が形成されようとしている。その市場を活用し米国市場等からの締め出しを耐え忍ぶことに成功したのがファーウェイともいうことができよう。海外市場での成功を元に巨大化したTSMCやサムソン電子等には存在しえない経営戦略上の選択肢といえよう。
アメリカ政府は、先端産業企業にとっても、このような存立環境の違いが持つ意味を、どこまで理解した上で、華為に制裁を課したのか、あるいは現状でもどこまで理解しているのか、私には疑問に感じるところである。日本市場を基盤としたトヨタ自動車に対して有効であった政策手段が、中国市場を基盤としている華為にも有効であるかは、その企業が置かれた市場環境によって大きく異なるのである。ここも、経済学の教科書での競争一般の議論と大きく異なる多様性の1つである。
すべての中国企業が、中国市場の巨大さを活かし、海外市場から締め出されても国内市場を中心に再生し、さらなる飛躍を遂げられるわけではない。しかし、同時に、中国企業には、中国市場に戻ることで、新たな先端企業としての可能性を模索し、構築する可能性が与えられている。これは、韓国企業であるサムソン電子が追求可能な場ではないのである。韓国市場に引き篭り、再生することは、巨大化したサムソン電子には不可能である。グローバル市場で先端技術をめぐって競争している巨大企業について、それぞれが基盤としている市場によって、その存立発展のための選択肢は異なってくる。このことを如実に示したのが、この華為の記事である。
経済理論の次元での企業の再生産の可能性と、具体的な市場での存在としての企業の再生産の可能性とその余地は、大きく異なっている。これを日中の中小企業を中心に見た産業発展から痛感した。