小川正博著『イノベーション入門』同友館、2021年
を巡って 小川正博氏との議論 渡辺幸男
4月に小川正博さんから近著を送っていただき、最近、一気に読み、その感想と疑問を小川さんに送ったところ、小川さんからの反論をいただきました。それをめぐり小川さんとメールのやりとりを行いました。以下は、その内容を、小川さんの許可も一応いただいたが、渡辺幸男の責任で勝手にまとめ、このブログに掲載したものです。
1、小川正博著の目次
第1章 コンテナに見るイノベーションの特質
第2章 イノベーションとは
第3章 製品や技術・生産システムのイノベーション
第4章 情報技術のイノベーションと企業経営の変容
第5章 モジュール化によるものづくりのイノベーション
第6章 顧客価値からの事業イノベーション
第7章 破壊的イノベーション
第8章 ネットビジネスのイノベーション
終章 イノベーションへの挑戦が社会や企業を支える
2、小川著への渡辺幸男の最初の感想
今年4月に出版され、著者より送っていただいた本書を、7月に入ってからの数日で読んだ。このところ、中小企業を中心とした産業発展についての議論よりも、東アジアの近世近代の経済史やアンデスを中心とした古代文明についての議論に関わる著作等に関心が集中していた。そのため、同世代で一緒に中小企業論の教科書を書いた学会仲間でもある小川正博教授(小川教授は私と全く同じ歳だが現役の教授である)から、この著作をいただきながら、目を通すことが遅れてしまった。
久しぶりに、現代の産業発展に関わる著作を読み始め、改めて自分の関心の所在がここにもあることを認識させられた。
本書は、イノベーションについての議論の諸論点を、具体的な事例を通して紹介しながら、経営学の視点から議論している著作である。と、私には理解された。本書で最初に紹介されている事例は、ベトナム戦争を大きな転機として、コンテナ輸送システムを創造構築した、マルコム・マクリーンの担った輸送システムでのイノベーションの紹介から始まっている。
事例を紹介し、それを通してイノベーションとは何かを語る、という手法で、コンテナ輸送、コピー機、デジカメ、宅配便等々、世の中を大きく変えたイノベーションを紹介しながら、イノベーションについて議論している。それを通して、イノベーションとは何かについて、多様な研究成果を紹介しながらそれぞれの展開の論理を示すことで、イノベーションについての諸論点を興味深く紹介している。
私自身がある程度知識のあった事例もあるが、私のそれの多くは荒っぽい知識であり、著者のような丁寧な既存研究を踏まえた整理ができていなかった。その意味でも、大いに勉強となった。また、興味深く読むことができ、読み始めた後は、一気に最後まで読むことができた。
3、小川教授への渡辺の疑問
ただ、1つだけ気になったことがあった。「第6章 顧客価値からの事業イノベーション」での議論を中心とした著者の主張である。その最も典型的な表現が「イノベーションを事業として実現するには、・・・模倣しにくく競争優位になる顧客価値の提供が不可欠である」(134ページ)というものである。
小川教授も述べているのであるが、イノベーションの成果を長期にわたって自社のものとするには「差別化」が必要である、という議論である。「事業の仕組みの視点からイノベーションを推進することが求められる」(154ページ)ともいう。
第6章の議論では、イノベーションそのものよりも、それを先導した事業体がイノベーションの成果を長期にわたって自己のものとするには、どうしたら良いかが議論されている。それに失敗した例として、早期にコモディティ化したクォーツ時計やMP3そして液晶テレビが取り上げられている。社会に多大な影響を与えたイノベーションを起こしたが、事業としては必ずしも長期的にはそのイノベーションの成果を活用できなかった企業の事例と言える。そして、自社のイノベーションの成果を長期にわたって囲い込むために何が必要かを議論している。しかも、そのような仕組みを作ることを、結論的にも、上記のように推奨している。
寡占的競争での製品差別化競争での優位の形成、これはイノベーションの普及という視点から見れば、普及の担い手が市場を独占するということであり、有効なイノベーションの迅速な普及を阻害し、多様な可能性の模索と実現を歪め、そしてコモディティ化を遅らせるということを意味する。とすれば、社会的な意味では、当該イノベーションの成果の可能性の発揮を遅らせるということを意味しよう。しかし、著者の視点である個別企業としての利益の追求の視点からは、コモディティ化が「マイナスの存在」であるかのように描かれている。私には、コモディティ化は社会的には「プラスの存在」と思えるのだが、いかがなものであろうか。
コンテナ業界の現在の覇者は、それを事業として最初に推進したイノベーションの主導者と企業ではない。激しい競争が行われ、一挙にコンテナ化が進行した結果として、当初主導した経営者はコンテナ業界から脱落したことが本書の第1章で述べられている。そのような過程であったからこそ、コンテナシステムのイノベーションは一挙に普及し、さらなる進化ないしは深化を遂げたと言えるのであろう。
イノベーションが生じ、それが、多数の多様な新規参入者との激しい競争を通して、社会的に急速に普及し、その可能性を十二分に実現する。これこそイノベーションの意味を十二分に発揮することであろう。経済学的なイノベーションの順調な形成実現としては、イノベーションの初期の担い手のみではなく、多様なプレイヤーが自由に参加し、競争し、多様な可能性を花開かせるということこそ重要であろう。それをイノベーションの担い手としての企業が製品差別化等を通して、社会的な普及を遅らせ、自らの競争優位性として囲い込む努力をし、その囲い込みに成功するということは、イノベーションの社会的意味から見れば、イノベーションの自由な普及や一層の発展を阻害する行為、いわば「反社会的行為」といえよう。小川さんのイノベーション下で個別事業体の独占的主体として利益を追求することの推奨とも言えるような議論は、経済学的な意味では、イノベーションの意義の普及を意図的に遅らせ、多様な可能性を阻害する、反イノベーション的行動の推奨ともいえよう。
個別事業体から見れば、自ら主導したイノベーションの成果をなるべく長期にわたり囲い込み、より多くの利益を実現することこそ、意味のあることと言える。個別経営的、あるいは経営学的に見れば、そういうこととなろう。しかし、イノベーションの社会的意義という視点から見れば、これは反社会的経済行為、独占的市場支配といえよう。特に社会的に有意義なイノベーションの普及を意図的に遅らせ、そのイノベーションから派生する諸々のイノベーションの可能性を抑制するという意味でも、より一層、反社会的独占行為といえよう。
当該イノベーションが社会経済的に意味のあるものであればあるほど、一挙に競争的に多様な可能性を実現できる方向で普及することが重要であり、経済的、経済学的価値があることであるといえる。これを阻害する行為を推奨しているように見え、かつそれをイノベーションの議論の一環と位置付けているかに見える点に、大きな疑問を感じた。
なお、本書は、個別企業にとってのイノベーションの経営上の有効活用を意味するようなタイトルではなく、『イノベーション入門』という、イノベーション一般を議論することを意味するタイトルとなっている。しかも、タイトルから見て当然のことながら、理論的には、最初にシュンペーターのイノベーション論を紹介することから、始まっている。経済を発展させる新結合として、議論は始まっている。クオーツが一挙にコモディティ化し普及したことは、開発企業にとっては、収益機会の短縮を意味した。しかし、社会的には、正確な時計を、より安価に手に入れることが可能となるという、高価なスイスの機械式時計が独占していた、時を正確に刻む携帯用機械を、世界中の人が子供も含め安価に手にすることができるようにした、極めて重要な世界的なイノベーションの経済的には健全な展開そのものである。開発した企業も低価格化したクオーツのムーブメントを世界中に販売することで、それなりの利益を長期に実現したことを含め。
4、小川教授の反論1
ただ1つだけ気になることがあった。という点につきまして私(小川教授)の見解です。
ご指摘の通り,イノベーションを1つの企業が独占することになれば社会全体に,国民経済的に効果をもたらしません。経済的厚生に寄与しません。さらに言えばイノベーションは,社会経済に広く普及することによって生じる現象です。独占では経済を新たな軌道に発展させる現象にはなりません。多くの企業が新たに登場した何か新しいものを模倣して,それがさらに顧客にとって使用しやすい機能や性能,活用し易い仕組みなどを備えることによって,社会により普及していく現象がイノベーションです。それでなければ,シュンペータの言う経済を質的に新しい軌道に乗せるイノベーションにはなりません。ご指摘の通りです。
ただ企業は,企業家自身には社会に貢献するという意思があったとしても,経済的な利益を追求する存在です。利己的に経済的利益を追求することによって,その結果社会を豊かにしてく存在だと認識します。企業は本来的に少しでも利益を拡大したい,そのことが原点にあって,イノベーションに至る行動にまで突き動かされる。一般にはイノベーションを目的とするのではなく,利益獲得のための行動がイノベーションに結びつくものではないでしょうか。(マクリーン経営姿勢をこうした視点で記述しました。)
企業は自社と同様なものが登場すれば,あるいはそれを模倣して利益を獲得しようとすれば,差異の創出が必要です。機能や性能の向上,コスト削減,広告宣伝,ブランドなどあらゆる手段を用いて差別化に走ります。他の企業はそれを打破するために,さらに新しいものを創造し,新たな差別化手段を講じます。こうした企業間の競合が,差別化がイノベーションを発生させたり,加速したり,ときにはシュンペータの言う社会経済をダイナミックに変容させるイノベーションになっていく,と私は考えます。
シュンペータは企業家の役割を重視しました。まさに企業家は少しで多くの利益を獲得したい,そのためにリスクを冒しても新しいものの事業化に挑戦する。利益獲得のための事業化がなければイノベーションは生じにくい。利己的な活動を追求する企業家,企業が存在することによって,経済社会を変革するようなイノベーションが生じる。
繰り返しになりますが,私(小川教授)は利益獲得のための企業の利己的な行動がイノベーションの原点になるものと考えます。模倣への対抗,模倣の打破のための競争優位追究の行動はイノベーションを阻害するよりも,それがイノベーションをもたらす。そして新たなイノベーションを生じさせ,それらが結合することでダイナミックなイノベーションに進化していくと考えます。
経営学の視点からいえば,企業は少しでも利益を獲得して,それを再投資しさらに利益を拡大したい。そのためには競合企業よりも優位な製品や競争手段を設定しなくてはならない。それができないとイノベータとして成功しない。模倣しても成功した起業家や企業がイノベータになるというのが現実と私(小川教授)はとらえます。
確かにクオーツは高価であった時計をコモディティ化して社会に恩恵をもたらしました。それだけでなく,そこで培われた技術や部品などはカメラなど電子製品の小型化に使用されて技術進歩に寄与しました。しかしセイコーの経営はその後停滞し事業を縮小して,多くの従業員を解雇することになりました。(プリンターなど新しい分野での事業を創出はしましたが)。一方スイスのスオッチ社は,クオーツをおしゃれなファッション製品に再定義し,スイス国内だけで生産して価値化し,そこで得た収益をスイス時計産業に投資することによって産業集積としても新たな発展を遂げました。私企業の視点からいえば,イノベータはさらなる差別化,事業の再定義を行なって事業を持続しなければ,自社だけでなく関連企業をも衰退させます。私(小川教授)は企業の利益を拡大するための差別化の行動,競合企業には模倣しにくい競争優位の形成が,社会を発展させる源になる。次のイノベーションを喚起すると考えます。
クオーツと同様なことがコンピュータ,携帯電話,液晶テレビ,半導体,家電,オーディオ機器などさまざまな分野で起こっている。企業は競合に敗退すれば,次のイノベーションを起こすこともできなくなります。国の産業さえ衰退を招く。
現実を直視しない無能な政治家,新しいものに挑戦しない無能な経営者によって,日本という国は30年をかけて先進国から転落しました。今日よりも明日の世界は明るい,という私たちが経験した時代を創るには,イノベーションを起こすしかない。そんな思いで書いた拙い書ではあります。
5、渡辺からの7月18日の返事
経営学の視点での発想、私なりに理解しました。ありがとうございます。繰り返し差別化して、超過利潤を獲得する努力をする。それが競争的状況でもある。これについては、理解したつもりです。
その上で、日本の多くの企業が、ある時期、イノベーションを連発し、その後、大きく遅れをとってしまったこと、これをどう理解するか、これこそ、クリステンセンの継続イノベーションと破壊的イノベーションの議論につながるのではないでしょうか。日系企業群のイノベーションでの成功は、トヨタのトヨタ生産方式を含め、高度成長における日系企業群のグローバルに置かれた状況下での独自の国民経済的環境、これと激しい日系企業間の国内市場をめぐる競争の存在、これがある方向性をもつイノベーション群をひき起こした。このように私は考えています。この方向での成功が、その方向での努力の継続を生み、あるいはこだわりを生み、グローバルな環境の変化とグローバルな市場での直接的な競争への移行の中で、有効性が弱まり、ほぼ消滅したのではないか、このような理解をしています。
何故、日系企業群がある時代、イノベーションを簇生し、その後、多くの分野で韓国台湾等の企業のイノベーションとは見劣りするものとなったのか、メモリー等の先端的部門でのイノベーションを見ていると、こんなふうに感じざるを得ません。乗用車は、市場そのものが大きく変わらなかったので、トヨタのイノベーションは長く継続的に有効であったのではないでしょうか。日系企業群の中では、いわば例外的な存在だと思います。
6、小川教授からの7月18日付の再論
ブログはご自由にお願いします。
先生がイノベーションも興味,研究の対象だということ,私(小川教授)は興味深く感じています。刺激を受けました。
なぜ高度成長期以降,イノベーションを引き起こした日本企業がその後停滞し今日まで至るのかというのは,私(小川教授)にとっても大きな課題です。製品や企業ごとに理由は多様だと思います。私(小川教授)は今のところ大枠では次のように考えています。
〇日本企業のパラダイムであった「良いものを安く作れば売れる」という発想で製品化し,それを模倣できないように差別化 していくという視点が希薄であった。絶えず差別化するなかでイノベーションの芽も浮かび上がる。
〇「技術」革新という視点が強く,それを顧客が望む製品に,顧客価値に基づく製品に提供することを怠った。例えば半導体メモリーで世界トップの技術を確立したが,それはメインフレーム向けの製品であり,パソコンが登場するなかで当初は品質が劣ってもより低価格な半導体が求められるものに対応せず,その市場をサムスンに奪われた。それ以降半導体でフラッシュメモリー以外,日本企業のイノベーションは見えない。
〇国内市場に目を奪われ,世界市場の開拓を怠ったために,モジュール化を軸とした自律分散な世界的なものづくり体制の構築に遅れ,世界規模での規模の経済性を発揮できず,中国企業の低格に対応できなかった。このとき,アメリカ企業は研究開発とマーケティングに特化し,自律分散なものづくりを活用して世界市場を獲得した。サムスンはかつての日本企業と同様な垂直統合型生産システムに多額の資金を投下して規模の経済性を発揮する経営で成功した。(今その限界を迎えようとしているが)
〇デジタル製品はイノベーション速度が速く,模倣が容易である。このため絶えざるイノベーションの継続が不可欠だが,前述のような理由で競争に敗退し,イノベーションを行うべき資源がなくなってイノベーションの余裕がなくなり,敗退を重ねたデジタル製品になって世界をリードするような日本企業のイノベーション少ない。また世界市場を獲得できていない。携帯電話は初期には世界をリードしたが,デジタル化以降,衰退した。世界市場で日本のスマホの存在感はない。
〇デジタル製品にはソフトが不可欠であり,今日ではソフトのためにハードがつくられるといってもよい。このソフトの世界でイノベーションを起こせない現実がある。
〇わが国ではイノベーションを起こすようなベンチャー企業が登場してこない。デッドコピーといってもよい製品づくりで基盤を築いた中国サンサイ企業は,今や世界市場を獲得する勢いの企業まで生んだ。これはイノベーションとは呼べないが,今後イノベーションを推進していく可能性は高い。
今思いつくものを簡単に書いてみました。
7、渡辺幸男の勝手なまとめ
以上、小川さんの最新の著作をめぐって、渡辺が勝手に噛み付いたことに対しての、小川さんの反論を掲載した。これを渡辺なりに整理すれば、以下の2点にまとめることができよう。
論点1 イノベーションと差別化、そして独占と言った現代経済におけるイノベーションの決定的な重要性、そして意味と、そこから生まれる独占の可能性についての懸念
イノベーションが現在経済の発展をもたらす、ということ自体に小川さんと私、渡辺との差異は存在しない。競争的環境下での多様なイノベーションの多様な主体による実現こそが、現代経済の本格的な発展をもたらす、と二人とも理解している。その中で、小川さんは、それゆえ、個別経営は差別化の努力を常に行い、イノベーションの担い手となることで、より多くの利益を実現する主体となるべきであると、主張されている。それに対して渡辺は、特定の事業主体が差別化によるイノベーションに成功し、市場での競争を阻害し、独占的市場支配を実現する可能性についての懸念を表明した。
イノベーションの現代経済における重要性、そのための各企業による差別化努力の必要性については、両者の差異は存在しない。差異があるとすれば、それでも競争が担保されるか、という点での認識の差異である。差別化の最も成功した形態が、独占的市場支配で、他の主体の差別化努力を抑えてしまうことであろう、というのが渡辺であり、そういうことを想定することは必要ないであろうというのが小川さんの見解ではないかと、渡辺は考えた。
いずれにしても、イノベーションの事例を数多くこのような視点からも研究することで、それぞれの可能性が現実化するかどうか、その条件はどのようなものであるかを、検討することが、両者ともに残された課題といえよう。
論点2 日本経済という国民経済の場でのイノベーションの可能性
論点1は、市場の置かれた場は議論の対象となっていない、ごく一般論である。しかし、小川さんとで議論した点のもう1つは、日本という国民経済でのイノベーションの一時的簇生と、その後のイノベーションの激減をどのように見るべきかという、日本経済論に関わる問題である。あるいは、国民経済でのイノベーションの簇生化をどのように実現するかという、経済政策論的課題である。
この点について、渡辺は、クリステンセンを引用し、グローバル経済の状況と、そこから隔離された日本という国民経済を前提した、独自な競争状況が、日系企業群でのイノベーションの簇生をある時期実現した、という認識に立っている。そして、グローバル経済に本格的進出後、日系企業は、多くの業種で市場的環境が大きく変化したにもかかわらず、継続的イノベーションの道を歩み、破壊的イノベーションを行った他国系の企業群に、グローバル市場での覇権を奪われた。このように見ている。日系企業としての独自な環境下での偶然から得られたグローバル市場に対する破壊的イノベーションの一斉的成功ゆえに、その後の環境変化の中でも継続的イノベーションを実現しようとして、多くの場合的外れの意味のない差別化努力となり、グローバル市場で後退せざるを得なかった。これが渡辺の理解である。
それに対し、日系企業のおけるイノベーションや差別化の事例を数多く見てこられた小川さんは、渡辺が言うような形で一般的に説明できるような、そんな単純なものではないと考えている。すなわち、それぞれの事例で、それぞれなりの環境のもとでの差別化努力とそれぞれなりのズレがあり、多様な理由で全体としての日系企業の適切な差別化努力の衰退につながった、という理解である。
あとがき
イノベーションについて、まともに事例調査や既存研究についての研究を積み重ねてきていない渡辺の勝手な噛みつきに、小川さんがおつきあいくださり、それなりに議論ができたと、勝手に評価している.まずは小川さんにお礼を述べたい。
また、もし可能であれば、このような形での議論の紹介も、このブログで、今後もしていきたいと考えている。同時に、我々の議論に対して異論等あれば、是非、コメント等の形で参加してくだされば、大変嬉しいことである。