2021年4月18日日曜日

4月18日 春です。我が家の庭の出来事

 我が家の庭のシンボルツリー
柏の葉が芽吹き始めました。今日の蒼空を背に、
朝陽を浴びていました。

母屋のテラスの壁に、
メジロがしきりにやってきました。
巣作りのための材料にと、壁についた蛾の繭の抜け殻を
集めに来ていたみたいです。

エントランスのモミジの根本では、
エビネランがいくつも咲いていました。
昨年より数が増えたみたいです。
その昔、この家の庭を作った植木屋さんが、
休憩時間に裏の雑木林でみつけ、
勝手に我が家の庭に植えてくれた名残りです。

庭では鉄線の花が、賑やかに咲き始めました。
適当に鉄の棒を立て、
それに絡ませたところ、それなりに、
様になったように思いますが、いかがでしょうか。

いずれにしても、我が家の庭は春そのものです。
ほとんど二宮の自宅から出ない私でも、退屈しないのが
春だと、痛感している毎日です。






2021年4月11日日曜日

4月11日 TSMC創業者の張忠謀氏インタビューを読んで

 TSMC創業者の張忠謀氏へのインタビュー記事

 「半導体 1強の台湾企業」(朝日新聞、202148日、13版、15ページ)

を読んで 渡辺幸男

 

 半導体生産におけるファウンドリの最先端企業、TSMCの創業者のインタビュー記事である。以下、私の関心事から注目された張氏の発言部分を紹介し、そこから触発された、自身の勝手な意見を述べたい。

 台湾でTSMCは創業したのだが、創業当初から台湾ではなく米国からの受託生産をしていたことが紹介されている。すなわち、「業界では「垂直統合」が基本だった当時、一体、どこから注文を取ってきた」のかという質問に対し、「半導体の設計会社です、世界では90年代にかけて雨後のタケノコのように設計会社が続々、登場しました」とし、「米クアルコム」がTSMCと同時期に設立されたと述べ、「米エヌビディアも90年代にでき」たと述べている。当初より、台湾ではなく米国等のファブレス企業からの受託を行なってきたことが示唆されている。しかも、「87年に創業してしばらくは競争相手がまったくおらず、我々の独占状態が78年続きました」と述べている。90年代半ばまでは、米国を中心にファブレスメーカーが登場する中で、台湾立地のTSMCが受託半導体製造企業として圧倒的な存在であったことを示唆している。なお、台湾の半導体ファブレスメーカーの代表的存在と言えるメディアテックの創業は1997年であり、TSMCの創業より10年後である。ちなみに、現在ファウンドリ業界第2位のグローバルファウンドリーズは、2008年に当時の垂直統合型半導体メーカーAMDから分社・発足し、翌2009年に正式に設立されており、TSMCから20年遅れてのファウンドリ専業としての参入ということになる。

 他方、1980年代末から1990年代は、日系半導体メーカーが垂直統合型企業として、メモリーの1種、DRAM中心に世界市場を席巻し、やがてDRAMでサムスン電子に追い上げられ始められた頃でもある。90年代後半、日系メーカーの国内DRAM工場勤務であったゼミのOBが、ゼミのOB会で、DRAMの生産技術開発でサムスンの追い上げが急激であると、話してくれた。逆に言えば、このような事実が私にとって新鮮に聞こえたということは、90年代後半でも、日系企業のメモリー中心にした垂直統合型の半導体製造が、グローバル市場での先端的存在であったことを示唆している。

 垂直統合型の日系DRAMメーカーが、同じく垂直統合型の当時のサムスン電子に、DRAM生産技術開発で追いつかれ始めていた時点で、すでにTSMCは受託生産企業として台湾に登場し、米国等の設計会社すなわちファブレスメーカーが開発する多様なロジック半導体の生産を受託し始めていた、ということを、このことは示唆している。

 今1つ興味深い張氏の発言は、「台湾がTSMCを生んだように」というインタビュアーの発言に対し、張氏が「あなたは今、『生んだ』と言いましたが、台湾がTSMCを生んだわけではありません。なぜなら、私は米国で育てられたからです」と答えていることである。台湾に立地し、台湾政府の支援を受けているとしても、TSMCは、米国で育った生産技術と経営者をもとに、米国を中心としたグローバルな半導体市場向けに、当初から活動していたことが言われているとも言える。

 その上で、「日本がロジックを手がける製造専業の会社を生めなかったのはなぜでしょうか」というインタビュアーの問いに対しは、「どうして日本にTSMCはでてこなかったのか、ですか。それは、日本にファブレス企業が出てこなかったのが、最大の要因だと思います」と回答している。台湾に立地しているTSMCは、米国企業で育った経営者を核にグローバルな需要を対象に創業し、初期からグローバルないしは米国中心の需要を前提に成長しているのに対し、張氏は、日系企業については日本国内にファブレスが生まれなかったからだといっている。すなわち、日本国内に需要がなかったからだといっていることになる。他方で、TSMCが受託していたようにグローバルにはすでに需要が存在していたが、それは日系企業のファウンドリ化には関係なかったということになる。

読んだ当初は、一見矛盾する見解のようにも思えたが、まさにその通りであると、改めて感じた。つまり、当時の日系企業は、そして今でもかなりそうであるが、日本国内での需要と企業間分業を前提に創業しており、当初よりグローバルな市場を前提に、部分的工程に専門化して中間需要ないしは中間材需要を開拓するような企業の創業は稀有であったし、今でもそうであるということを暗に念頭に置いての発言であろう。

 TSMCは当初より海外需要を前提に半導体生産の一部のみを先端的に担うことを志向し創業したが、日系企業には、そのような形での市場志向は存在しにくいということなのであろう。台湾と日本の工業先端化の過程の差異が、ここに如実に表現されていると感じた。日本の製造業は、海外から技術導入をしたが、生産体系は国内完結型を目指すものであり、1980年代にはほとんど国内完結型生産体制を構築することに成功した。製造業内での需要について、部分的な工程のみに特化し、後は海外の需要に依存して発展するような経験は、戦前戦後を通して一貫してほぼ存在しなかったといえよう。また、最終製品市場についても、先端的な工業分野を含め、まずは日本国内でその製品分野として完結した生産体系を構築してから、海外の最終製品市場に進出するという形態を、当然のこととしていた。海外企業との企業間分業による中間需要を前提に、当初より、その部分工程に専門化した形で海外需要を開拓した分野は、ほぼ存在しないと見て良いであろう。

 台湾の場合は、この張氏のインタビュー記事に対する解説的記事を同じページに書いているアジア経済研究所の川上桃子氏がかつて『圧縮された産業発展 −台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム−』(名古屋大学出版会、2012年)で、ノートパソコンについて描いたように、そしてこのTSMCの半導体受託生産、グローバル需要を前提にしたファウンドリとしての創業もまた、戦後日本の工業発展とは大きく異なり、当初よりグローバルな生産市場体系の一部を担う形で、国内市場とはほぼ切り離された形で、多様な工業生産分野が拡大した。筆者が実際に調査研究対象としたジャイアントやメリダに代表される台湾系自転車産業企業も、その一例であろう。自転車では、市場と部材の多くを海外に依存しながら、組立生産を受託し、発注側のブランドでの生産、OEM生産からその本格的成長が始まった。部品ではなく完成品の受託生産から参入したという意味で、受託生産の製品内容が異なるが。また、EMSの鴻海精密工業(富士康)も、同様に海外からの電子・電気製品の組立受託という中間市場向けに受託生産をして巨大化した例と言えよう。

 ただ、TSMCが上記のような台湾系の著名な他の受託生産企業と大きく異なるのは、その生産体制が、中国大陸に進出し、そこを生産の主力とすることなく、依然として台湾中心のものとなっている、ということである。大量の非熟練労働力を、生産工程の中の主要な部分に必要とするような産業においては、中国の改革開放以後、ほとんどの有力台湾企業が、中国大陸に進出し、そこを生産面での主要拠点としている。それに対して、TSMCは依然として台湾での生産を中核としている。ファウンドリが技術的に装置型産業であり、TSMCが生産技術での先端を担う企業であることによるのであろう。なお、上記の自転車産業で世界最先端にあるようなジャイアント等の台湾系メーカーも、量産工場自体は中国大陸を主力としているが、開発拠点については依然として台湾に残している。TSMCは装置型の先端生産技術企業を目指したがゆえに、半導体生産技術で先端を行く主力生産工場を中国に移せなかったとも言えるのかもしれない。

 

 このようなTSMCの発展を、産業発展論の中で、どのように位置付けるべきであろうか。現代においては、かつて日本の製造業が先進化したような過程、時期とは異なり、多様な中間財それも特定機能だけに専門化した企業でも、グローバルな市場を前提に、グローバルな企業間分業を活用することで、技術的にも最先端化できる、ということを示したものといえよう。国民経済単位での産業発展に制約されることの少ない形での、突出的な特定産業の発展が可能なのが、現代の工業、産業なのであろう。そのような例として、台湾の諸産業とともに、他には、本ブログでも取り上げたことのある、ブラジルのリージョナルジェット機メーカーであるエンブラエルがあげられよう。ブラジルの場合は、出発点は多数のドイツ人航空機技術者のブラジル移住にあったとされる。台湾のTSMCの場合は、そのような存在として張氏をはじめとする米国で学び米国企業で半導体開発生産に携わった中国系技術者たちということになろう。

 

 今後の世界の産業発展が、どのような地域間分業構造を前提に展開していくのか、興味深い点である。東アジアは、その意味でその可能性について、他の後発工業化国にとっての大いに参考となる産業地域といえよう。

しかし、日本のように、国民経済単位で、一定規模の国内市場の存在を前提に、国内完結型の生産体制の構築を目指し、それに成功し、その中からグローバルに競争力のある乗用車産業等を生み出すといった方向での産業発展は、ある意味、他の後発工業化国には参考にならないであろう。いわば最後の国民経済的工業化成功国、日本経済といえよう。

 それに対して、台湾や韓国は、海外市場を当初より前提し、そこでの一部の市場での優位を実現することや特定の生産機能を担うことで、一点突破的に工業化を進展させ、それを核に他の分野も海外市場を念頭に発展させた、工業化成功事例である。国民経済内での国内完結型生産体制の構築に依存しない工業化といえる。その1つの事例が、今回のファウンドリTSMCということになろう。

それに対して中国は、一方で大量の低賃金不熟練労働力を動員し、工業生産における世界市場における量産製品生産の組立機能のみの海外企業からの受託生産を中心に工業化を進めた。と同時に、それを通して一定の所得水準上昇を実現したことを活かし、さらに計画経済下での工業化要素の形成、人的基盤の存在を活かしての独自な巨大な国内市場向け生産体制構築に成功し、その市場部分を活用する新規創業企業の大量創出が生じた。それを通して、上記のグローバルな生産体系の中の1要素を担うと同時に、国民経済単位での新たな形での独自な産業発展をも実現した経済と言えよう。

 

 リージョナルジェットでのブラジルやバンガロールのIT産業のインドのように、すでに一点突破的な先端工業分野の構築に成功している地域や国もある。ただ、これらの地域は台湾や韓国と異なり、多くの先端企業や産業を生み出すことには、未だ至っていない。一点突破型のグローバル市場向け産業分野の後発工業化国での構築、そして、その簇生の条件は何か。興味深い論点である。

2021年4月9日金曜日

4月9日 春爛漫のエントランス

道路沿いの生垣のトキワマンサク、
紅と白、
手前の3本が本格的に咲きました。
奥の2本は、
刈り込んだために、花付きが今ひとつですが。

エントランスでは、ノースポールが満開です。
モミジの新緑、
ゼラニウムにマーガレット
花がそれぞれ咲き誇っています。

灯籠の脇のモミジ、
新緑、
でも、こちらも緑ではなく、
紅色の「新緑」、これも粋なものです。

例年に比べ、ゼラニウムの花のつきが遅くなっています。
一昨年から、軒下で冬で越させているので、
花の盛りの始まりが遅くなっています。
蕾はたくさんついているので、
もう少しでゼラニウムも賑やかになると思われます。