2020年7月29日水曜日

7月29日 コロナワクチン開発と量産での社会的分業は「水平」?

コロナワクチンは「垂直()(社会的)分業」で開発が効率化されるのではないのか
日経記事「ワクチン開発・製造 分業 富士フィルム、原薬増産 供給体制早く」
2020729日、12版、3ページ)を読んで

 この記事の内容そのものではなく、そこで使用される表現について、極めて強い違和感を感じた。ワクチンの開発・試作を行っている企業群と量産を担当する生産受託会社との関係の図が描かれ、その図のタイトルに「コロナワクチンは「水平分業」で開発を効率化」とつけられている。また、本文で、「ワクチンは基礎研究から製剤化までを製薬会社が一貫して進めるいわゆる「垂直統合型」の代表的な医薬品だ」と述べ、その理由が記され、その後に「一方、新型コロナ向けのワクチンは開発と生産を異なる企業が担当する「水平分業型」が進む」と述べている。
 すなわち、1つの企業内で一貫して開発・試作と量産の双方を行う生産体制が「垂直統合型」であり、それらについてそれぞれ別の会社が担当する、すなわち社会的分業を行う場合が「水平分業型」というのである。相変わらずである。これまでも何度も見てきた対概念についての誤りが、ここでも繰り返されている。
 この「垂直統合型」という場合の「垂直」は、企業内あるいは企業間で分業される工程間の位置関係を示している。「垂直」とは、川上工程と川下工程との関係であり、この場合は開発・試作と量産との工程間の関係であることを示している。すなわち、ここでの「垂直」は工程関係を示し、経済学用語として、ワクチン生産での開発・試作と量産の工程的関係のみを示す概念であり、自社内で双方を行うか他企業と分業するかには全く関係がない概念である。すなわち、「垂直」的な関係にある工程をどう分業するか、すなわち企業内で分業するか社会的に企業間分業するかという意味であり、この場合は、双方とも「垂直」関係にあるといえる。少なくとも記事の「垂直統合型」という表現は、経済学用語としてこのような状況を表している。
 ちなみに、(社会的)分業に関わる経済学用語としての「水平」とは、例えば乗用車生産でのエンジンとタイヤといった完成部品間の生産についてのような、同じ次元の製品や部品間での分業概念であり、それを1社内で行えば、完成部品の「水平統合」あるいは完成品の「多角的生産」であり、他社と分業すれば、「水平(社会的)分業」となる。
 すなわち、ワクチンの開発と量産の企業間分業は、「垂直(社会的)分業」と呼ぶべきものであり、「水平」という概念を使用する理由は全くない。「垂直」関係の対概念としての「水平」という時の経済学的内容は、この記事の対概念には全く存在していないのである。あくまでも垂直的工程関係にある複数工程を同一企業内で行うか、他社と分業するかということであり、一方を「垂直統合」と呼ぶのであれば、他方を「垂直分業」と呼ぶべきなのである。
 機械工業における社会的分業論を研究対象としていた私の言葉で言えば、この記事で表現されている両者は、開発・試作と量産の「垂直的統合」とそれらの「垂直的社会的分業」ということになる。すなわち工程間の「垂直的」関係の企業内統合か企業間社会的分業かということなのである。「水平」という概念がどこから出てくるのか、「垂直」の対概念は「水平」だが。この場合は、対象となる工程関係としては、同じ垂直的関係であるから、対概念で表現されるべき理由は、全くないのであるが。
 そもそも、「垂直統合」の対概念として「水平分業」という言葉が誤用された根源は、「垂直」という概念に工程間の技術的な関係以外の要素を込めたこと、すなわち「対等ならざる」取引関係という支配従属的なものも含む下請的取引関係の意味を込めたことにあるようである。下請取引関係の場合は「垂直的」分業関係にあり、かつ「対等ならざる」取引関係であるのに対し、取引関係が、対等であるという意味を込め、「水平分業」という言葉が生まれたと、私は想像している。これは、「垂直」的取引関係に経済学的な分業上の位置関係を示すものとしてだけではなく、取引上の力関係の非対等性を含意させたことによる。
 ただ、「水平分業型」と「垂直統合型」、それぞれにカッコがついているのはなぜであろうか。経済学的な概念であれば、不要なカッコであるが。
 もしかしたら、開発・試作する製薬会社と、量産を担当する製薬会社との取引関係が、対等な取引関係である、と言いたかったのであろうか。量産する製薬会社は、開発・試作する製薬会社の「下請」ではなく、それぞれ独自の生産技術を持つ、対等な取引関係にある企業であると、言いたかったのであろうか。もしそうであれば、そのように具体的に述べればよいであろう。両者は対等な取引関係にあると。

 以上の議論とほぼ同様な内容の新聞記事批判は、私が現役の教員で工業経済論を講義しているときに、日経の記事を取り上げる形で、何回か教室で行ったと記憶している。また、だいぶ前にこのブログにも書いたような気がしている。しかし、依然として、このような叙述が行われていると、改めて批判的なコメントをしたくなった。

2020年7月28日火曜日

7月28日 盛夏が待たれる庭の紫紺野牡丹

我が家の庭に置いた、紫紺野牡丹のいくつもの鉢、
本格的に咲き始めました。
数年前から、挿し木をし、増やしてきた野牡丹、
大きく育ち、
本格的に、賑やかに咲いています。

惜しむらくは、盛夏の蒼空ではなく、
梅雨の曇り空の下での
本格的開花、
背景の緑は冴えていますが、
空は灰色、
残念です。

それでも、一日花の野牡丹の花ですが、
次から次へと咲き、
庭を賑やかに飾っています。

エントランスにも2鉢、持ってきています。
こちらも本格的に咲き始め、
エントランスの彩りに変化を与えています。

梅雨の雨に濡れた野牡丹の花も、なかなかのものでしたが、
やはり、蒼空を背景にした野牡丹の花を
早く楽しみたいものです。
あと1週間、
梅雨明けが待たれます。

2020年7月17日金曜日

7月17日 夏の花と梅雨

庭では、梅雨の花、アジサイが咲き誇っています。
この写真は、今週の火曜日のもの、
薄日が差し、アジサイが木陰で咲き誇っていました。

今日、雨の中、紫紺野牡丹が咲き始めました。
エントランスの華です。
今夏、最初に咲いたノボタン、
これから毎日、多数のノボタンが楽しめそうです。
挿し木で簡単に増やせることもあり、
我が家ののボタン、2桁の鉢となり、それらが蕾をつけて、
エントランスと庭を飾っています。

今年も、サンパラソルも咲き始めました。
雨に濡れ、真紅がより鮮やかです。
今年の花つきは、今ひとつですが、
花の色は、相変わらずで、見事で鮮やかです、

一重のベコニア・白から紅色まで、
いろいろな色のベコニアが勝手に種から育っています。
葉っぱの緑と花の赤、かなり気にいっています。
勝手に増えているのですが。