2019年6月23日日曜日

6月23日 星野妙子編『メキシコの21世紀』を読んで

星野妙子編『メキシコの21世紀』アジア経済研究所研究双書、2019
を読んで 渡辺幸男

 私のこれまでの学習内容では、メキシコについての議論そのものについて、自分の見解を述べることは全くできない。それゆえ、以下の議論は、上記の本についての多少の感想と、それを読んで勝手に考えたことを述べたものである。

*メキシコのPRIによる1党支配の長期継続と、そこでのインフォーマルセクターを含めてのクライアンテリズムによる囲い込み、それを支えたメキシコ石油資源を独占していた国有石油会社Pemexの収益の資金面での利用、この構図は、いくつかの諸国との共通性を感じざるを得ない。巨大な(1つの)収益源を利用しての特定政党の長期安定支配の継続、その背景にある多様な階層の当該政党へのクライアンテリズムによる囲い込み、このような構図で見ることができよう。
メキシコの場合は、その巨大な収益源の先行き急減が見通され、その構造が大きく変わりつつある、というのがこの本の主張であろう。その過程で、政権交代は生じたが、政府の支配力の減退で、麻薬組織等の跋扈を許し、安定した政治構造、あるいは民主化のもとでの新たな経済発展の展望がひらけていない。このことも結論的に本書が言おうとしたことであろう。ただ、このこと自体、ある意味で過渡期とも言えるかもしれない。今、正→反→合の正→反の過程にあり、反→合として何かが出てくる前の状況とも思える。民主主義の成熟、そのためには多様性の許容と競争の中での教育の普及、結果としての「インフォーマリティ」層の縮小が、出てくるのではないか。そのような過程としてみることも可能ではないか。
また、この麻薬組織の跋扈が、みかじめ料による収奪等、多くの負担を農業者等に与えたことも述べられている。非合法組織をもコントロールしていた1党支配の政府の解体と政府そのもの弱体化とによって激化した、麻薬組織の抗争や跋扈により、農業も含め、自営業者が相互の競争の中で蓄積できるような社会環境が、生み出されなかったということも、大変興味深い分析であった。自営業者が自営業者としてまともに競争できるような、広い意味での市場環境がまともに存在しなかったのが、近年も含めたこれまでのメキシコ経済ということになろう。
これが、メキシコ自体についての議論への感想である。

*同時に、このような巨大な(1つの)収益源を利用しての特定政党の長期安定支配の継続は、メキシコに限らず、過去、現在を問わず、多数の例が各地に見られることであろう。その挫折も含め。メキシコのPRIと同様なことを追求しながら、メキシコ以上に豊富な石油資源とその国有化を利用してバラマキによるクライアンテリズムを追求したのがベネズエラのチャベス政権であり、その後の原油価格暴落で従来のクライアンテリズムを維持し得なくなったのが、マドゥーロ政権と見ることもできよう。
ロシアのプーチン政権も、その政権が長期化しえているのは、まさにこの論理であろう。資源国として石油や天然ガスの輸出大国となり、そこからの巨大な利益を国民にばらまくことで、長期政権を維持し得ている。かつてソ連時代に存在した巨大な工業基盤の多くの部分を失いながらも、それが可能となっている。ロシアの場合は、ベネズエラと異なり、自国の工業技術で資源開発と維持が可能であり、その意味でも資源輸出大国としての地位を長期にわたって維持していると言えそうである。
日本の自民党長期政権も、まさにクライアンテリズムの側面を色濃く持ち、高度成長という巨大な収益源を得たことで、長期政権を維持できたのであろう。中国共産党の1党長期支配も、政治的制度としては日本の高度成長期と大きく異なるが、それを支える論理は日本と同様にも見える。まさに全階級を代表し、国民経済の発展を追求し、それを実現したゆえに、長期政権を維持できているといえよう。特に、天安門事件以後の30年間は、そのような時期と言えるのではないか。
ただ、日本や中国の長期の1党支配と、メキシコやロシアのそれとの違いは、その長期支配を可能にする国民経済にとっての大きな収益源が、天然資源に依存するものか、あるいは工業生産の発展によるものかの違いにある。メキシコの戦後もロシアの21世紀も石油資源を中心に豊富な天然資源に恵まれ、そこからの収益をばらまくことができ、1党支配長期化を実現している。資源価格が顕著に低落すれば、また資源が枯渇すれば、その支配を維持する基盤が喪失される。ベネズエラは前者でありメキシコの21世紀に入っての変化は後者によるといえよう。
他方で、日本や中国での1党支配の長期化は、工業発展を軸とした長期の高度成長ゆえのものであり、それ自体のダイナミズムの変化が、1党支配の維持の可能性を決めることになろう。日本では1990年代以降の停滞で、高度成長を利用したバラマキは困難となり、政権交代が生じ始めたと見ることができる。中国はまだそこまで行っておらず、当面、成長を維持することで共産党政権の正当性を維持することができるように思われる。同時に、その行き詰まりの際には、メキシコや日本さらにはロシアとも異なり、制度的に政権政党の交代が形式的にでも可能となってはいないため、どのような移行が生じるか興味深い点でもある。香港の今回の状況は、その意味では興味深い事例であろう。第2の天安門事件、中国政治の分水嶺となる第2天安門事件が生じ、大きな体制転換が起こるのであろうか。
また、日本と中国に対するロシア、これら3国はいずれも長期政権を実現していたか現在でもしているが、バラマキの原資となる収益源が大きく異なるのは、なぜであろうか。ロシアと中国、両国とも長期政権下にあるのに、かつてのソ連圏内完結型工業化を実現し、自国系企業群が製品的には先端工業製品をも生産していたロシアの非工業化の進展と、一通り工業製品を国内で生産できたが、先端的ないしは国際競争力を持つ工業はほとんどなかった中国の本格工業化の進展が、同時並行的に進展しているのは、なぜなのであろうか。移行期のあり方の相違、あるいは人口に比しての天然資源の賦存の差異によるのであろうか。

*本書では、メキシコのインフォーマルセクターの労働者と非正規被雇用者を含めたインフォーマリティと呼ばれている労働者層は、海外からの直接投資向けの被雇用者として、自動車産業の組立工程でも使うことが難しいとされている。では、中国の農民工は、何故あのように大量に工業労働者として動員可能であったのか。初等教育の有無の違いなのであろうか。それとも、中国では農民工の受け入れ側が外資の直接投資より幅が広く、民営企業も多く含まれたことにより、採用可能となったのであろうか。はたまた自動車産業独自の難しさか。近年のバングラデシュのように外資の直接投資の中心が繊維関連の産業であれば違ったのであろうか。
 それとも、これらのインフォーマリティ層が、クライアンテリズムに組み込まれたことで、あえて大きく生き方を変える必要がないため、そうとして大きな変動を被っていないのであろうか。しかし、その条件は石油資源枯渇、Pemexの収益源としての意味の消滅で、大きく変化したはずである。それでも変わらないのか、多少のタイムラグを持って大きく変化する可能性があるのか、興味深い論点でもある。